GCAP世界会議

1時からGCAP世界会議が始まった。総会も兼ねていて、代表や様々な役割も決めたりする。参加者は、約30カ国から、各国の代表が一人づつ。
3年に一度の会議なので、久しぶりに会う人も多いようで、和気あいあいと始まる。


最初に挨拶、自己紹介、今回の会議の目的と流れが確認された。
主な目的は、MDGs(ミレニアム開発目標)の期限、2015年以降のGCAPの役割を確認し、戦略をつくること。GCAPは、Global Call to Action against Poverty の略で、世界の貧困をなくすための運動である。

会議への期待が共有された後、2007年からの7年間で起きた世界の変化をブレイン・ストーミングし、小グループに分かれて、そのような変化に対して、市民社会はどのような挑戦が必要か、そして、GCAPはどのような役割果たすのか、を話し合った。

世界の変化については、ソーシャルメディアの普及や、気候変動、貧困が中流階級にも広がっていること、政府の腐敗や、公的資金が企業に流れていることや、ユースの貧困、問題が多様化していることなどがあげられた。

このような変化の中、GCAPの役割はなにか、が繰り返し、問われた。

また、好事例の報告ということで、「動く→動かす」の稲場さんが、日本の「SUTA」の報告をした。この動員力は、世界の中でも注目されているようだ。


ただ、GCAP自体、資金もなく、国連がすすめるキャンペーンや大手NGOがすすめるキャンペーンなど複数が混在することで、GCAPの役割が益々わかりにくくなっている問題もある。
キャンペーンをやりっぱなしにせずに、具体的な政策提言につなげたり、行動につなげたり、するにはどうするのか、も重要だ。

最終的には、GCAPの「ヨハネスブルグ宣言」をだすことが目的のようだが、なかなか難しいそうだ。

30カ国から代表が来ているので、それぞれの文脈で、貧困や格差、災害や、人権、ローカルの問題や政府への働きかけ、キャンペーンのあり方を語るので、すれ違ったり、同じ所をグルグル回ったり、話し合いは混沌を極めたりするのだが、それでも、丁寧にお互いを聞き合い、進めていくプロセスから、学ぶことは多かった。

特に、アフリカ、ラテンアメリカ、アジアの人達が語る、リアルな、貧困や格差、政府の腐敗、公的資金の不透明な流れなどが、身にしみた。


先進国は、2015年の先を、と言っているが、実際にはまだ解決されていない貧困が山のようにあるし、それは、以前よりも複雑な形で顕在していて、問題は変化をしながら、深刻化している。

変化する世界にどうチャレンジするのか、というような文脈で先進国の人は言っているけど、そんな悠長なことではなく、今眼の前の問題を、どうやって戦略的に解決していくのか、もっと、
リアルに考えたい、というのがアフリカの人たちの主張のような気がした。もちろん両方必要だ。

夜は、有志で宣言づくりの会議が9時まで行われた。
これをつかって各国へのアドボカシーや活動を広げること、伝えることなどに使えるという。
世界の、それも、Global Southと言われる人たちが中心に動いている、のが、GCAPの特徴だろう。


世界の市民活動家は、真面目で、ユーモアがあって、そして熱い!
会議は明日も続く。
(中村)

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