2016年11月18日に川崎市のフリースペース「えん」で、今年度3回目のワークショップを行いました。
今回のテーマは「あってよい違い・あってはならない違い~なんで差別が起こるの?」。ここ最近、アメリカでは大統領選挙後に移民に対する排斥運動が過熱し、日本では沖縄での機動隊による「土人」発言が問題になりました。なぜこうした行動や発言が生まれてしまうのでしょうか。「あってよい違い」と「あってはならない違い」とは何なのでしょうか。
ワークショップを通して、身の回りにある差別・ステレオタイプや、世の中の「常識」を批判的に考えてみることが今回の目的です。
初めは伝言ゲーム。
写真を見て題材を当てるのですが、今回の題材は「スケボーをするおじいさん」、「車いすのファッションモデル」、「髪の長い男の子」などなど。少し意外な組み合わせの写真です。「子どもたちはちょっと苦戦するかな」と思っていましたが、拍子抜けするほどズバズバと当てられてしまいました。「○○な人だから…といってできない事はない」、「あきらめちゃうのは社会が誘導するからだよ」との声が。
途中、サルサを踊る80歳のおばあちゃんのムービー(こっちまで元気が出る!)を挟んだり、見た目とは裏腹に強烈な味(とにかく辛い!)の「長野産わさびチョコ」をつまみました。
オランダのとある公園で、一人の男が木に括りつけられた自転車の盗難防止チェーンをペンチで壊そうとしています。男の目的は自転車を盗むことです。白人男性・黒人男性・モロッコ系男性の3人それぞれにチェーンを壊してもらい、周囲の人の反応を見比べます。
白人男性がチェーンを壊している時は、周囲を歩く人たちが怪しむことはありません。なんと、切りやすいように自転車を抑えてくれる人や、工具を貸してくれる人まで現れます。
反対に、黒人男性やモロッコ系男性がチェーンを壊していると、いぶかしげに眺める人や、「現場写真だ」といって写真に撮る人、警察に通報する人もいます。
やっていることは同じなのに、なぜこんな差が生まれるのでしょうか。
子どもたちからは
「差別だ。見た目だけで判断している」
「黒人だから、とか先入観で判断している」
「うちの父親も、子どもだから音楽なんて早いって言ってくる」
との反応。たしかに、わたしたちの身近にも同じような「無意識の」差別が溢れていませんか?女だから、男だから、子どもだから、高齢だから、障がいがあるから…
そんな話を受けて、最後にアクティビティ「ちがいのちがい」に取り組みます。様々な「ちがいカード」をもとに、「あっていい違い」と「あってはならない違い」を考えていきます。
「ちがいカード」には「日本では食事に箸を使うが、インドでは指を使う」「A校では女子の制服はスカートだけだが、B校ではズボンも選べる」「女性専用車両はあるが、男性専用車両はない」といった様々な「ちがい」が書かれています。
制服に関してのカードが出た際には、「日本では政府が揃えさせたいんじゃない?」「先生になんで制服なの?って聞いたのにまともな答えが返ってこなかった」とのこと。
また、「日本では自己主張するとでしゃばりと非難されるが、アメリカでは自己主張をしないと低く評価される」というカードでは、「学校でおとなしくキャラ変わるってわけわかんない」という声もあれば、「学校では無難に普通にしてる」という声もありました。
「普通に」「無難に」という言葉が持つ力、切り捨ててしまうものの大きさに、子どもも大人も目を向けるきかっけになるワークショップだったような気がします。「えん」に集まる子どもたちは、とてもいい意味での「普通じゃない」環境で過ごすからこそ、今回のような忌憚のない声が聞けたのかもしれません。
「普通」ってなんだろう。帰り際、考えながらおよそ2時間半宇都宮へ帰りました。
今回のテーマは「あってよい違い・あってはならない違い~なんで差別が起こるの?」。ここ最近、アメリカでは大統領選挙後に移民に対する排斥運動が過熱し、日本では沖縄での機動隊による「土人」発言が問題になりました。なぜこうした行動や発言が生まれてしまうのでしょうか。「あってよい違い」と「あってはならない違い」とは何なのでしょうか。
ワークショップを通して、身の回りにある差別・ステレオタイプや、世の中の「常識」を批判的に考えてみることが今回の目的です。
初めは伝言ゲーム。
写真を見て題材を当てるのですが、今回の題材は「スケボーをするおじいさん」、「車いすのファッションモデル」、「髪の長い男の子」などなど。少し意外な組み合わせの写真です。「子どもたちはちょっと苦戦するかな」と思っていましたが、拍子抜けするほどズバズバと当てられてしまいました。「○○な人だから…といってできない事はない」、「あきらめちゃうのは社会が誘導するからだよ」との声が。
途中、サルサを踊る80歳のおばあちゃんのムービー(こっちまで元気が出る!)を挟んだり、見た目とは裏腹に強烈な味(とにかく辛い!)の「長野産わさびチョコ」をつまみました。
続いて視聴した「キミの心の“ブラックピーター”」は無意識の人種差別を題材にした作品です。そのうちの一場面から「自転車泥棒」を題材としたパートを取り上げました。
オランダのとある公園で、一人の男が木に括りつけられた自転車の盗難防止チェーンをペンチで壊そうとしています。男の目的は自転車を盗むことです。白人男性・黒人男性・モロッコ系男性の3人それぞれにチェーンを壊してもらい、周囲の人の反応を見比べます。
白人男性がチェーンを壊している時は、周囲を歩く人たちが怪しむことはありません。なんと、切りやすいように自転車を抑えてくれる人や、工具を貸してくれる人まで現れます。
反対に、黒人男性やモロッコ系男性がチェーンを壊していると、いぶかしげに眺める人や、「現場写真だ」といって写真に撮る人、警察に通報する人もいます。
やっていることは同じなのに、なぜこんな差が生まれるのでしょうか。
子どもたちからは
「差別だ。見た目だけで判断している」
「黒人だから、とか先入観で判断している」
「うちの父親も、子どもだから音楽なんて早いって言ってくる」
との反応。たしかに、わたしたちの身近にも同じような「無意識の」差別が溢れていませんか?女だから、男だから、子どもだから、高齢だから、障がいがあるから…
そんな話を受けて、最後にアクティビティ「ちがいのちがい」に取り組みます。様々な「ちがいカード」をもとに、「あっていい違い」と「あってはならない違い」を考えていきます。
「ちがいカード」には「日本では食事に箸を使うが、インドでは指を使う」「A校では女子の制服はスカートだけだが、B校ではズボンも選べる」「女性専用車両はあるが、男性専用車両はない」といった様々な「ちがい」が書かれています。
制服に関してのカードが出た際には、「日本では政府が揃えさせたいんじゃない?」「先生になんで制服なの?って聞いたのにまともな答えが返ってこなかった」とのこと。
また、「日本では自己主張するとでしゃばりと非難されるが、アメリカでは自己主張をしないと低く評価される」というカードでは、「学校でおとなしくキャラ変わるってわけわかんない」という声もあれば、「学校では無難に普通にしてる」という声もありました。
「普通に」「無難に」という言葉が持つ力、切り捨ててしまうものの大きさに、子どもも大人も目を向けるきかっけになるワークショップだったような気がします。「えん」に集まる子どもたちは、とてもいい意味での「普通じゃない」環境で過ごすからこそ、今回のような忌憚のない声が聞けたのかもしれません。
「普通」ってなんだろう。帰り際、考えながらおよそ2時間半宇都宮へ帰りました。
(高階悠輔)
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