ICSWレポート(3)協働しそうにない相手とどうつながる?

スタッフの伊藤です。

4月8日~12日にかけて、セルビア開催されたInternational Civil Society Week(ICSW)に参加してきました。今回は、3回に及ぶ報告の最終編です。

ちなみに会場で配られた水はペットボトルでなくガラス瓶でした

ICSWでは、多くの分科会が実施されており、私はその中の「グローバルシティズンシップ教育:システムを変えるための市民活動を再調整する」という分科会に参加してきました。

「気をつけろ!あの子はすごいのペンを持ってるぞ!」-教育は最強の武器だ(ネルソン・マンデラ)

分科会の初日は、「価値観に基づく教育」を実践する、異なる教育分野に橋渡しをし、グローバルシティズンシップ教育を定義するのではなく、それを描き出すことを目的としてワークショップが実施されました。そして、どのようにお互いが協働し、システマティックな方法でインパクトを与えることができるか、今後に活用できる具体例を参加者で考えました。

この分科会の参加のルールとしては、頭ではなく、心や手で参加し、お互いに興味をもち、尊敬しあって関わることが冒頭に述べられました。また、ワークショップの様子は、漫画でグラフィックレコーディングされました。

ワークショップでは、まずグローバルシティズンシップ教育の実践で「最も失敗なシナリオ」を考え、その後は、将来的によりインパクトをもたらすために、という目的で、以下の内容についてグループで話し合いました。
  • どんな前提、力関係、世界観を対比したいか
  • どんな両極性や矛盾を包含したいか
  • どんな原理がグローバルシティズンシップ教育の役割や貢献に最も重要か



後半のワークショップでは、自分の活動の中で、協働しそうな相手と、協働しそうにない相手(でもブレークスルーにつながる)について考え、グループで一つ事例を選び、ありえそうにない相手をどのように乗せるか、皆で方法を考えました。

どのような方法やアプローチを使ってもかまわず、最終的に他のグループに対してロールプレイで発表し、フィードバックをもらうというものです。

私たちのグループでは、ASPBAEで実践されている、ユースによるアクションリサーチを事例として進めました。

このリサーチは、インドネシア、インド、フィリピンで実施され、弱い立場にある子ども、特に女の子の識字や基礎教育を妨げている原因を分析し、地域の教育プログラムに新しいサービスを導入することを目的としています。この活動について、「ありえそうにない相手」として出版社を設定し、教育プログラムや、それにまつわる各自のストーリーを広く知ってもらうために協力してもらいたい、という内容で、どのように出版社に掛け合うかを考えました。具体的には、説明会を実施し、事業の重要性や、その会議にユースに実際にスカイプで参加してもらったりなど、色々な方法が出されました。

短時間だったため、限られた方法ではありましたが、皆で考えることで、後から「こういう方法もありそう!」と考えるきっかけになるだけでなく、DEARとして、対話を進めていきたい相手やそのアプローチについて考えるきっかけとなるワークショップでした。


この日の最後は、一日を通じて、どのような疑問や質問などにインスピレーションを受け、明日以降の「learning journey(学びの旅)」に活かすか、自らに問いかける質問を考えました。

分科会二日目は、ストーリーテリングの方法で二日間をふりかえり、今後の活動を考えるうえで、自分たちの目的を果たす・果たさない仮定や実践をはっきりさせることを目的に、以下の内容を意識しながら、ワークショップが行われました。
  • 何を学んだか、またその経験からどのように違ってきたか。
  • 何が自分のコンフォートゾーンを揺るがしたか
  • ここで得た刺激をどのように生かしていくか
  • このネットワークをどのように持続させ、お互いが心強くいられるようにするか
ワークショップの後半では、セッションを持ちたい人が、その場でテーマを立て、他の参加者は好きなセッションを選びました。

私は「難民」をテーマにしたセッションに参加し、多くの難民を抱えるトルコでのグローバルシティズンシップ教育の進め方を中心に、皆でそれぞれの意見を出し合いました。

グループでは、まずグローバルシティズンシップ教育をどのようにグループのメンバーはとらえているかを共有し、どのように難民というテーマを組み込んでいくのかという話になりました。

メンバーには、トルコ、ドイツ、イギリスからの参加者がいたのですが、印象的だったのは、受け入れ難民に対するグローバルシティズンシップ教育が中心として、話されていたことです。一方で、日本の現状のように、主に受け入れる側に対してのグローバルシティズンシップ教育の必要性についても共有し、双方が共に地域や社会で生きる一員としてのグローバルシティズンシップ教育の役割について話し合いました。

話す中で、「市民」の捉え方も色々で、権利や参加という意味が出る一方で、その人自身であることも意味する、といったことも話されました。話が広がったところで、セッションは終わりましたが、改めて日本の文脈での市民や市民性について考えるきっかけになりました。
(伊藤)

おまけ:立派な要塞がありました

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