こんにちは、スタッフの伊藤です。
昨年から、「Transformative Learning Journey」(Bridge47主催)に参加しています。5月に3回目で最終の集合研修がポーランドで実施される予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、オンラインでの実施となりました。
※1,2回目の様子はこちらに掲載しています。
世界各地の実践者が集まる研修
週に一回、5週間にわたって2~3時間ずつ、世界各国から開発教育やグローバルシティズンシップ教育などに携わる実践者が20名ほど集まり、研修を展開しています。
時差を考慮して、アジア、アフリカ、南北アメリカ、ヨーロッパから、皆が参加できる時間帯ということで、調整も一苦労でしたが、なんとか決まり、参加者によって早朝だったり、昼だったりで、私は日本時間の夜10時に参加しています。
参加者の背景も、本がいっぱいあったり、子どもが乱入してきたり、普段の研修とは違う生活を垣間見られるのも面白いです。自粛生活が長くなり、心身ともに閉じこもりがちな環境ですが、オンラインで同じ時間を共有することで、部屋にいても、地球規模で世界がつながっているという感覚を取り戻すことができ、距離を多少なり超えることができると感じています。
これから、この研修の報告を参加者の現状なども含めながら2回に分けてしていきたいと思います。今回はその前編です。
写真は前回12月の集合研修から |
各国・地域のコロナ禍における現状
オンラインの初回は、参加者の現況や気持ちの共有をしました。
コロナ禍における参加者の様子は、意外にも「落ち着いている」という気持ちを選ぶ人が多く、対応に追われつつも在宅勤務ができる立場で、状況に比較的慣れてきたという人が多いようでした。一方で、その中には悲しい、つらい、という気持ちも入り交ざっているようでした。
パレスチナのモディーは、自宅隔離や夜間の外出禁止をさせられることはこれまでにも幾度もあり、比較的慣れているけど、人と会えないということにやはり不安があること。
ケニアのナオミは、バッタの大群襲来や、コロナ、洪水など次々に国内でおこる事態に、自宅から指揮しつつも功を奏さないことにいら立ちを覚えたこと。また、ロックダウンをしている州はコロナに苦しみ、ロックダウンしていない州では、コミュニティどうしの殺人を含む争いがある分断に悲しく思ったこと(今は落ち着いたよう)、国境からの不法入国が絶えず感染拡大にも影響があること。
ウガンダのアイリーンは、厳しいロックダウンのため、公共交通機関や自家用車も使えず、緊急を要するときだけでなく、糖尿病やHIVなどを抱える人の病院や薬へのアクセスが限られ、人々が不安を抱えていること。
ネパールのリジャルは、感染そのものよりも厳しいロックダウンが貧困層の生活を直撃し、人道的な部分で対応が迫られており、毎週100人もの人々に食事を提供しているということ。
フィンランドのイラは、フィンランドでも男女平等はまだ歴史が浅く、もろく、この状況が簡単に変わると実感している。例えば、亡くなる人は飲食店などで働いている女性が多い。看護師や教員にも女性が多く、この状況で過重な労働を迫られたり、自身を犠牲にすることが当然のように期待されている。そういった仕事を選んだのは自分という議論ではなく、マスクの提供など安全が保障されるべきだし、教員も、同情もなくクリエイティブに教育の質を保障できるべきという、完璧さをこの状況で期待できるのか、難しい選択であること。これまで以上に飲酒に関わる問題やDVの問題もあるいうこと。
半年間ともに研修に参加している仲間が直面している問題は、コロナ禍が社会、経済、環境、政治、ジェンダーなどの既存の問題に、さまざまに形を変えて影響を及ぼしており、改めてこれまでの社会の在り方について考えさせられます。
喫緊で元通りにするべきことはありますが、総じて決してこれまでもよかったわけではないこと、この混乱から脱することをだけを考えるのではなく、それぞれが持続可能な社会とは何か、考え直す時だと改めて感じています。
ワークショップ:あえて話してみよう
研修では、“Elephant in the room”(「見て見ぬふり」「誰もが認識しているのに、触れないこと」)という表現にちなんで、現状を踏まえ、各自にとってとびきり大きな象(正解がなく、不快であったり、矛盾を含むお題)を一匹連れ込み、象がどこから来たのか、ここにいない象はなぜいないのか、などについて話しあい、ゆくゆくは教育者として何ができるのかを考えました。
参加者から挙げられた意見の一部(Jamboard使用) |
参加者から挙げられた象(トピック)のまとめは:
- 「政府が最脆弱層に不均衡に害を与える法案を導入している」
- 「グローバル教育が現状に対応しそこなっている」
- 「国家の民主主義が世界規模の挑戦に対応できない」
- 「自然やお互いの繋がりという感覚を失ってきた」
- 「女性に対する暴力の増加、コロナ禍の対応で女性が大きな負担を背負っている」
- 「世界は人口過多の状態で、コロナ禍はこの事実に対して警鐘を鳴らしている」
1)~6)はそれぞれがお互いに関連していますが、各グループで議論をしたところ、特に皆の関心につながったのは1)「政府の役割」でした。そして、「誰が政府なのか」ということが話題になりました。
このコロナ禍で、政府の対応批判や、どこの国の政府がうまくやっている/やっていない、という見方が強まっています。
おかしいと思うことにはその場で声を上げて反応を示す必要がありますが、それが「外野から何でも反対するだけで、試合にきちんと参加した形」でできているのか(させてもらえないこともあると思いますが)、間接的には私たちが選んだ政府であり(利権や陰謀など思惑はありますが)、大きくは、政府は私たちの社会の一部であるこという視野を見失ってはいけないと、話し合いを通じて感じました。
カメルーンのゴッドラブは、今の自分の政府は怖いが、自分も部分をなしていることは複雑。今、具体的にできることは、まずは地域やコミュニティからで、仲間とラジオを通じた教育番組を発信しているという前向きな声もありました。
全体共有を通じて、議論の内容に対して平坦な言い方ですが、今・身近にできること、長期的にやっていくべきことをごちゃごちゃにせず、必要なことの見極めが大事だと思いました。
また、コロナ禍でもそうでなくても、個人や特定の集団、社会全体としてどの立場から自分は見ているのか、相手は見ているのか、ふりかえる必要があると思いました。(報告:伊藤)
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