こんにちは、DEARスタッフの伊藤です。
今回は、7月8日(木)に開催したDEARカレッジ第6回「平和」についてご報告します。
グループタイム・アイスブレーク
まず前回までの講義で触れられた関連ワードを中心にふりかえった後、グループに分かれて、「平和という言葉は胡散臭いと聞いて、どんなことを思い浮かべますか?」について話しました。
講師の上村さんと |
グループで共有されたお話
- 😐ネット右翼とかヘイトなどに溢れていると、胡散臭さというのが出てくるのではないか。
- 😣「平和って大事だよね」って言いながら、大国が戦争をしていたり、軍事費を使っていると「綺麗ごと」に聞こえるのではなかろうか。
- 😕「平和」はいいもので胡散臭いと思ったことがないので、逆になぜそう考えるのか、について話を聴きたい。
- 😒言葉を発した立場に目を向けると、「平和」な立場にいる人からなのでは。どういう立場から発せられているのかという疑問があった。
- 😕戦争がないことが「平和」ととらえると、今の日本は平和なのかどうかについては疑問がある。「平和」の状態や、共有された平和像なのか。
- 😏戦争と平時が分かれていると思いがちだが、平時にあらゆる種がまかれている。平和である/ないは二項対立にはならない。平和=正義ととらえている地域もあるが、その考え方はどうなのか。そういう意見を聞いた時に思うのでは。
講義(上村英明さん)SDGs16『平和』―日本で平和教育をどう『再建』するか-
講師は上村英明さん(恵泉女学園大学)をお迎えし、「SDGs16『平和』―日本で平和教育をどう『再建』するか-」と題して、従来型の平和教育の再検討および、平和教育の試論的取り組みを通して、社会変革につながる平和教育について考えることを目的に、お話しいただきました。
平和教育概念の変化と、平和という言葉の乱用
自身の経験から、胡散臭さというのは大きく二つの意味がある。
一つは、色んな人が「平和」という言葉を異なる文脈で使っている。「平和」は基本的に反対できない概念で、どのように「平和」を作るのかの視点が違っていても、使うことができる。国連でも武力を使っての「平和強制」の概念があり、かつて安部首相も「積極的平和主義」という言葉を使った。誰もが使える言葉は、使っている人がどんな意味で使っているかを慎重に探らない限り、私たちが考えたい「平和」の文脈かどうか、分からなくなっている。
二つ目は、自身の専門の人権に似て「平和」も絶対概念に近い。これは、絶対に良いものだという教え方になりがちだ。そして、行き過ぎると、今の教育の抑圧システムと変わらない。例えば、広島で原爆教育を何度も受けて疲れたという学生に会ったこともある。繰り返し同じ価値を刷り込まれると、嫌になってくることがあり得る。
社会現象でもある。例えば、「ナチスもいいことをした」と主張する人がいる。政権だからいいことをやった部分もあるには違いないが、ナチズムを考える際、悪いことの度合いが圧倒的に大きい。その相対化の枠組みが本来前提にある。しかし、ナチズムが悪だと聞かされ続けると、議論のやり方そのものに反発してしまう。
「平和」も、抑圧が当たり前な教育機関の中で絶対に正しいことと教えられれば、抑圧に見えてくることがある。
平和教育を取り巻く環境の変化
人口構成の変化
人口構成が変化したことで、戦争体験者が高齢化し、戦争を知らない世代が急速に拡大してきた。戦争体験をしていない人が「平和」を学ぶ状況を真剣に分析する必要がある。
戦争体験をどう引き継ぐか、ということがよく言われるが、社会全体の右傾化があるとともに、無関心化によって、若い世代がリベラルであることさえ難しくなった。一方で、歴史修正主義者が広がっているといわれるが、その周辺にいる普通の若者が愛国・伝統教育を無批判に受け入れる状況にある。
2018年の教育基本法の改正も含め、トップダウンの決定が横行して、とくに若い世代に戦争体験をどう教育できるのかが課題だ。
教職員組合の弱体化と学校の管理化
戦前の教育を受けた教員が、新しい民主主義や平和という価値を教えられるのかというのが、戦後、教職員組合が最初にもった危機意識だった。これは日本に限らず、ドイツでもそうで、反ナチズムの教育を進めることは難しかった。
その時期、軍国主義に対する反省をこめて、根本的な平和教育をやっていこうと意識したのが、日教組のような教職員組合だった。教員を再教育しないと「平和」は実現できないと、教研集会などが開かれ、教育方法に関する情報交換が行われたことは、日本の戦後の平和教育にとって重要な役割を果たした。
だが、冷戦構造に巻き込まれる中で、文部省(当時)対日教組という対立構造になり、「政治化」したという名目で、弾圧を受け、学校の管理化も進んだ。
戦後の日本の平和教育(運動)の特徴と課題1
「従来型平和教育」
戦後の日本では当初、平和教育と平和運動は、ほとんど一致していたと考えられる。
ここでいう「従来型平和教育」とは、第二次世界大戦末期の体験を中心に構成されている。組合を作った先生達は、大戦に忸怩たる思いがあった。子どもたちを「がんばれ」と送り出した戦争が、正義の戦争ではなく侵略戦争であったし、そこでたくさんの教え子たちが亡くなり、大きな後悔がある。また自らも悲惨な戦争体験をした。
この戦争末期や終戦直後の悲惨さ苦しさを繰り返し学び伝えるのが、平和教育であり平和運動であった。いわゆる「平和の季節」も作られた。戦争体験を土台にした後悔と懺悔の色が強い故に、「平和」は絶対的に守らないといけないものとされた。
しかし、客観的には感情論が強く、無念に亡くなった人たちへの鎮魂の意味合いが平和教育の中心的文脈になった。もちろん改善は行われ、銃後の体験者に話を聞いたり、地域にある戦争関連の遺跡を回って学習するなどの試みが行われてきている。
それでも、従来型の平和教育の特徴は、戦争の体験的知識と反戦平和の絶対的正しさを反復的に学習する。そして、ある環境の中では、押しつけ教育と同じ構造になってしまう側面がある。
戦後の日本の平和教育(運動)の特徴と課題2
「多面的平和教育」
その次に出てきたのが、多面的に「平和」を学ぶというもので、従来型が被害者の体験やその悲惨さを軸にしたのに対して、日本の戦争の加害的部分を重視するものだ。
70~80年代、「慰安婦問題」や「歴史教科書問題」があり、アジア諸国からの問題提起に対応しようというものだ。これは重要な教育上の視点である。しかし、冷戦構造の中では、政府・文科省と日教組・平和教育の対立を先鋭化させることになる。
さらに、いわゆる冷戦が終結すると、グローバル化の中で組織の透明性や効率性が強調され、教育分野では「中立性」の神話が作られ、学校の管理化や教職員組合の弱体化が進み、加害的視点も弱体化された。
「包括的平和教育」
「平和」の対概念が「戦争」ではなく「暴力」であるとのパラダイムチェンジの中、直接的暴力、構造的暴力、文化的暴力が想定され、平和教育が、開発教育、人権教育、環境教育、国際理解教育などを統合した形をとるべきだというアプローチが「包括的平和教育」である。
ノルウェーのヨハン・ガルトゥングが提唱し、米国のベティ・レアドンなどによって展開されてきた概念だ。パラダイムチェンジの意味は極めて重要だが、問題もある。
例えば、人権教育には人権教育のプログラムが一定確立している。つまり、「包括的平和教育」の中で教える人権教育は中途半端であり、開発教育にしても、環境教育にしても同じだろう。逆に、国家暴力に対峙するという平和教育の固有な価値がこの中では、見えにくい。「包括的平和教育」が文部科学省に歓迎されている理由もそこにあるのではないか。
新しい平和教育の試み
平和を考える歴史的枠組み
ディスカッション「平和を創る教育とは?」
- 😕難しくて小学校の低学年にはわからない。生活の基盤の中で教えられる平和教育とは。なかなか伝えられないというジレンマがある。
- 😞「大人の言うことを聞かなきゃいけない」という現場で育つ子どもでは、なかなかデモに行くようにならないという話になった。
- 😑時代によって戦争の利益や目的が変わり、今後、戦争がもし起こるとなると、目的や方法なども変わっていくと思った。
- 😬「国家の理不尽さ」には、戦後の現在を考えた場合、「私たち」も含まれているのではないか。政治への参加の仕方も変わっている中で、国だけの責任だけでなく、市民としての責任や理不尽さも問われるのではないか。人が声をあげなくなったときに、「平和」が失われてきたと言えるのではないか。
- 😮「批判的になる」というのは今の教育の中で難しいのではないか。考える力を伸ばす教育をすることが課題となっている。全く考えないで生活していると、知らないうちに戦争が起こっているということになり得る。その意味で、国家の理不尽さに影響している教育のあり方が問われていると感じた。
- 😯「平和」って何かという整理ができないと、教えることもできない。何次元にもなっている。いじめや差別、在日コリアンのことや、国家を巻き込む戦争であったり、いろいろなレベルの「平和」をしっかりと整理して、何を教えていくか、というレベルをつくっていかなければならない。
上村さんからのコメント
「平和」について小さい子どもに教える際に、難しいと躊躇することもあると思うが、「国家暴力の理不尽さを教えること」は工夫できると思う。
僕自分は台湾からの引揚者の家系で、小学校時代から、祖母の戦争中の話よく聞いて育った。末期になっても威勢のいいニュースが流れる一方、高級軍人はひっそりと日本に逃げ帰ったが、竹やり訓練は続けられた。引き揚げ前には、収容所に集められ、進駐してきた中華民国軍の下に置かれ、米軍のリバティ船に詰め込まれて基隆から和歌山についた。
リベラルな祖母ではなく、「戦争をしてはいけない」とは言わなかった。しかし、ずっと「政府を信じてはいけない」と言っていた。その意味を考えるようになったのが私の世代だ。
考えすぎて、整理しすぎると、問題の本質が見えなくなる。「平和」を教えるのであれば、「国家暴力」を軸に、何を教えられるのかを、粗々でよいから考えていけば良いのではないか。一般的に、整理しないと行動できないと思っているが、行動するとむしろいろいろなことを整理できると私は信じている。
批判しなくなったら終わりというのがまさに政治教育。
政治教育をするということは批判できる人を育て、批判する人を支えらえる、あるいは批判できる社会を作るということだ。
批判する、ということが教育の現場では、現在「中立性の神話」に引っかかる。「教員は中立でないといけないから投票に行かないほうがいいですか」と聞かれたことがある。教育基本法に書かれていることでは、「党派的なことをしてはいけない」というのが「中立性」の意味だ。「政治的なこと」をやっていけないとは書いていない。「政治的なこと」と「党派的なこと」がすり替えられ、まとめて、政府を批判してはいけないと上から言われるので、教員には閉塞感があるのではないか。
確かに、特定の政党や党派を支持したり批判したりすることは「党派的」で、教育機関ではやるべきではない。しかし、政府の政策を批判することは市民社会の基本で、「三権分立」の理念にもあるように、ほっておくと腐敗する政府を批判するのは、われわれの政治的権利の一部である。
感想
これまでいかに自分が平和教育をやったつもりだったかを実感しました。
いわゆる平和教育の一環として原爆ドームや資料館を見学し、語り部のお話を聞き、夏には関連ドキュメンタリーを見て、体験的に学び、心が痛くなる思いをしてきたことで、満足していた自分がいたと思います。
修学旅行などの特別行事や夏の時期に考えるだけでは、「平和」は実現しません。歴史的な知識や共感だけでは「平和」にはつながりません。
先にある「平和」は、今の私たちが良くも悪くもつくっています。一例ですがフランスでは、「時には国家は間違う。間違ったときに声を上げ、行動することを教える」ということを聞きました。国家の理不尽さに向き合い、歴史的検証や理屈をもって、批判的に見られる力を養い、日々の生活で市民として行動していくことが、「平和」をつくる第一歩だと実感しました。(報告:伊藤)
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