第2期DEARカレッジ・SDGs学習のつくりかた(テーマ編)第5回「格差」

こんにちは!

今回、ブログを担当させていただきます、大学生ボランティアスタッフの土戸友理香(つちどゆりか)です!

どうぞよろしくお願いいたします!

今回は、オンラインで6月から開催されている「第2期DEARカレッジ SDGs学習のつくりかた(テーマ編)」(全7回)の第5回「格差」のレポートです!

プログラム

  1. 自己紹介&アイスブレイク
  2. グループディスカッション(制度の壁・心の壁)
  3. 講義「格差」 講師:井手英策さん
  4. 質疑応答
  5. 参加者の感想
  6. おわりにーわたしの感想

1.自己紹介
2.グループディスカッション

毎回おなじみ、ブレイクアウトルームに分かれて自己紹介とアイスブレイクの時間です。

今回のディスカッションテーマは「あなたが感じる生きづらさに通じる心の壁、制度の壁」

普段感じている心の壁や制度の壁、その壁はなぜ越えられないのか?をグループで共有しました。グループでは、以下のようなお話がありました。

  • 結婚してビジネスの姓と戸籍上の姓が違うと、手続きが大変。
  • 奨学金を借りていたため、未だに返済しなければならず、奨学金を借りていない 友達と壁を感じてしまう。
  • 正規雇用と非正規雇用の給与や待遇面の壁と、対人関係の心の壁。
  • 自分が壁を作っていることに気づき始めた。
  • 制度は整っていても、心が追いつかず壁を乗り越えられない。

今回の講義では、格差について考えます。

3.講義「貧困・格差」講師:井手英策さん

今回の講師である井手英策さんは、慶應義塾大学経済学部で教授として教壇に立たれています。

ご自身の壮絶な原体験から得た気づきやデータをもとに「格差」についてお話しいただきました。


弱者を生まない社会へ

講義は、「格差」という問いの立て方自体、方向から間違っているのではないか、という投げかけから始まりました。

「格差」のある社会には常に「弱者」の存在がある。
しかし、弱者を生まない社会を目指すことこそが本当のゴールではないか、と井手さんは言います。

平成の貧乏物語

日本の社会保障は、現役世代向けの社会保障が貧弱です。これは、老後や大きな病気、子どもの教育費、家を買うお金などを自らの貯金で賄わければならず、政府は助けてくれないということです。

つまり、貯金という自己責任にもとづく社会になっているということが分かります。

それにもかかわらず、日本社会は平成の間に驚くほど貧乏になりました。

内閣府の調査「生活の程度は世間一般から見たらどうか」に対して、「中流」と答える人は92.7%、「下流」と答える人は4.2%でした。

明らかに貧しくなっている日本において、「自分が貧しい」ということを認めようとしない社会なのではないでしょうか。

さらに、日本の労働者が置かれている状況に対するアンケートを見てみると、失業や収入面での心配を抱え、仕事にストレスを感じながら働いている人の割合が、先進国の中で上位であることがデータから読み取れました。

ちなみに、「自分は中の下の層である」と答える人の割合は、1位/38カ国です。

劣悪な労働環境に耐えても、生活が良くならない〈中間層〉の気持ちを想像してみてほしいです。

日本の社会において格差は大きくなっているにもかかわらず、格差の存在を認めようとせず、さらには格差を是正したり、失業者の暮らしを支えたりすることが政府の役割であるということに賛成する人の割合が低いことが分かります。

これは、弱者への関心がないどころか、意図的な放置さえ起きているのかもしれません。

これでは、「弱者を救おう」と声を上げたところで、無関心に終わってしまうのではないでしょうか。

貧しさの本質 -原体験の屈辱から-

貧困家庭で生まれ育った原体験の中で、救済という〈施し〉は人間の心に〈屈辱〉を刻み込むという気づきがあった、と井手さんは言います。

貧困家庭に生まれ育った井手さんは、母親に生活保護を貰っているか聞いたことがあるそうです。その時の母親の「そげん恥ずかし金」という言葉、そして、借用書を後回しにしてお金を貸してくれた命の恩人に言い放った「困るとはあんたばい」の一言が忘れられず、今でも夢に見ると話します。

1998年以降、所得水準が低下し始め、生活保護や失業給付の利用率は低いまま、40〜60代男性労働者の自殺者が急増しました。「人様のご厄介になるなら死んだ方がまし」という考えからでしょうか。

だからこそ、「かわいそうだから困っている人を助けてあげる社会」か、「誰も助けなくて済む社会」、どちらが良い社会なのか。弱者を助けるのではなく、弱者を生まない社会を創らなければならないと井手さんは言います。


「だれか」ではなく「みんな」のための、尊厳ある生活の保障

「国民みなが安心して暮らせるようにするよう国は責任をもつべき」ことに賛成した人の割合は約8割であるというデータがありました。

「困っている人を助ける」ことに対する反対意見が多いからこそ、「自分を含め、困っている人みんなが安心できる社会」に変えていかなければならない。そのためにベーシックサービスの無償化を提案しているそうです。

ベーシックサービス:誰もが必要とする、必要としうるサービス
  • 教育、医療、介護、障がい者福祉の自己負担をゼロへ
  • 学校給食費、学用品、修学旅行・遠足・見学費も無償化へ
  • 介護士、看護師、保育士、幼稚園教諭の給与を一割上げる
ベーシックサービスの無償化により、老後や子どもの教育、失業に対して不安のない、生き方をお金に左右されない、選択可能で自由な社会を創ることができます。

そうすることで、医療費や教育費などの生活保護は、困っている人のための「施し」ではなく、全ての人の「権利」となり、弱者を生まない社会へ転換していくことができます。

高齢者や障がい者、シングルマザーなど、働きたくてもどうしても働けない人たちがいます。その人たちへの品位ある命の保障をしていくことが必要であるといいます。

社会的弱者は弱い立場に置かれてしまった人達であり、決して弱い人達ではありません。努力なき人間が不道徳なら、〈弱者〉を放置する社会は傲慢ではないかと井手さんは言います。低所得者への給付は、中間層の生活保障があるからこそ、社会的に認められるのです。

みんなが安心して暮らせる社会を

皆が安心して暮らせる社会を実現するためには、税金を使う必要があります。

消費税なら6%の増税で、皆が安心して暮らせる社会が実現するそうです。消費税率16%でもOECDの平均以下の負担です。

ここで、税の組み合わせは個人の思想の問題であり、大切なのは税金について語り、後世に残したい社会を実現することだと井手さんは言います。

〈札束で人の歓心を買う社会か〉

〈仲間とともに税の痛みと、将来への希望を分かち合う社会か〉

みなさんが後世に残したい社会のビジョンはどちらでしょうか。

動き出した歴史

Q:ベーシックヒューマンニーズじゃダメなの?

1976年国際労働機関(ILO)は「ベーシックヒューマンニーズ」の概念を提唱しました。

ベーシックヒューマンニーズとは、生活に最低限・基本的に必要なもの(衣食住・水・衛生・健康・教育・雇用・社会参加)のことであり、全ての人がアクセスできるようにすることを提唱しました。

これは、貧しい人を助ければみんなが幸せという〈成長時代〉だから言えたのだといいます。

しかし、先進国全体でも成長が難しい社会になり、税収は限られるようになりました。一方で、人々の生活苦は広い層に及ぶようになっています。

だからこそ、井手さんは基本的なサービスに限定したベーシックサービスを推奨されています。

さらにいえば、「格差是正」のゴールはどこなのでしょうか?

格差をなくすために、全ての物資やサービスを提供するのは共産主義なのではないか。格差是正の本質を問うたとき、「格差」がおかしいのではなく、貧しいという理由だけで、他者と同じように基本的なサービスにアクセス出来ないことが問題なのではないかと、井手さんは語ります。

世界の貧困と日本の貧困

SDGsにおいて貧困の根絶がうたわれ、SDG1として掲げられています。

しかし、SDGsを日本において考えたとき、貧困の問題を取り上げても関心をもってもらうことは難しいのです。

だからこそ、SDG3や4にあるように、「全ての人に」健康や福祉、質の高い教育を届ける機会の創出が大切になってきます。

国際的な貧困の問題と、日本国内における分断の問題は、論点が大きく異なっていることに注意しなければなりません。

税金について語り合える社会を実現するために

税金の使い道を考えるということは、この国の未来を変えることなのではないでしょうか。

ベーシックサービスで人間らしい生活が保障される社会になったら、

  • 教育や福祉に関わる人達自身が、将来の不安から自由になり、子どもに心から寄り添う事ができる。
  • 先生の数を増やし、教育者の質も高められる。受験戦争に巻き込まれず、進学以外の人生を選択できる。
  • 仕事でのストレスを感じず、家族や大切な人と好きな地域で食事を楽しみ、地域活動や社会活動など、自分の好きなことに時間を使える

全力で前だけを見て走る〈100メートル走〉のような生き方か、周りの景色を見ながら今日あった出来事を楽しく話す〈遠足の帰り道〉のような生き方か。

お金による将来の不安をなくし、好きな生き方を選べる社会を税で創っていく。

それこそが、本当の選択可能な人生なのではないでしょうか。

4.質疑応答

Q:日本人はなぜ貧しさを認めず、中流意識が高いのか?

井手さん:働かない人間に対する眼差しが冷たい社会になっているのではないか。「就労(労働)の義務」がある先進国はあるが、「勤労の義務」という国は日本と韓国のみである。貧しさを認めることは恥であるという考えが根付いている

また、結婚、子ども、持ち家は諦めたが、インターネットで他者と同じように繋がることができるから「中流」と考えるのではないか。

Q:ベーシックインカムとの違いは?

井手さん:実現可能かどうか。

ベーシックインカムは全員にお金を配るので、膨大なお金が必要であり、実現が難しい。それに対し、ベーシックサービスは、必要な人にしか使われずお金が安く済むため実現可能。

例えば、幼稚園や保育園が無償化されたことで、入園し直す大人はいない。それは、入園し直す必要がないから。

Q:時間のゆとりを得るためには、ベーシックサービスや税による対応しかないのか?

井手さん:生きていくための必要から自由になることは、労働から自由になることである。労働から自由になるためには、生存・生活のニーズをなんらかの形で満たさなければならない。働きたくて働くのは良いことだが、働かなければいけないことに縛られるのは奴隷になっていく。

そこから自由になるのは、別の方法もあるのかもしれないが、ベーシックサービスなのではないか。

Q:モデル国はあるのか?

井手さん:北欧が一番近いのではないか。イギリスやカナダは病院が無料、ヨーロッパの国では大学の学費がほとんど無料。保険適用外の医療については自己負担。

Q:選挙で増税の声をあげて、中間層は賛同するのか?

井手さん:2019年10月、増税により保育園・幼稚園の無償化、低所得者の大学無償化が実現した。増税前は反対:賛成=6:4だったのに対し、増税後は4:6になった。増税してでも安心できる暮らしにして欲しいと思う人はたくさんいる。

税金を取るかわりに、適切に使うというメッセージを国民に伝えることが重要。

5.参加者の感想

  • 格差を是正することが目的なのではなく、みんなが幸せに安心して生活できる社会を作ることが目的だという前提の問いの設定が学びになりました。
  • 日本社会が相当まずいことになっていると改めて気づかされました。とりわけ意識の問題は根っこが深く、これをどのように変えていくことができるのか、答えはすぐには見つかりませんが、今日のような学びの機会を増やしていくしかないかなと思います。
  • 貧困にある人が思うのは、お金持ちに対する不満より、自分と同じぐらいの人との差を気にする、という言葉にはハッとさせられました。結局分断を生む構造というのは、あるひとつの線で区切られたその界隈で起こり、拡がるってことなんだな、と気づかされた気がします。
  • これまで抱樸などの活動から多くを学び、お互いに助けてと言える社会をつくることが大切だと思っていたが、今回の講義をお聞きして、助けてという以前の問題にも真剣に切り込んでいく必要があることを知り、弱者支援ではなく、そもそも弱者を生まない、弱者をつくらないという社会をつくり、それを前提としてお互いにフェアな状態で助け合うことのできる社会をつくることが大切だと気づけたため。
講師の井手さんと

6.おわりにーわたしの感想

日本の生産性の低さについてよく耳にしていましたが、平成の貧乏物語として現在の日本のデータを目の当たりにし、これほど深刻な状況であることに衝撃を受けたとともに、私自身、仕事や人生設計に対する金銭面での不安を感じました。

事故や病気、親の介護、将来家庭を持った時の教育費のために、不安とストレスを抱えながら仕事をし、受験やビジネスの競争に参加しなければならない。

「自己責任」の競争社会の中で、貧困を認めることの怖さや屈辱を感じてしまうとともに、なんとか負けないように頑張っている人たちが貧困を「助ける」という構図は成り立ちにくいことが頷けます。

全ての人の権利として、教育や医療、福祉に対して安心した暮らしが保障されている社会であれば、本当の意味で、自分の好きなように時間の使い方ができる選択可能な社会であると感じました。

そんな社会を実現するためにも、多くの人と税金について、未来の日本の在り方について語りあい、声をあげていきたいと思います。(報告:土戸)

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