ヨハネスブルグ会議2日目

昨日の続きで、「オープンスペース」での話し合いを続けた。
私は、やはり、今の構造をつくり、持続させている背景をきちんと見ていくことを提案した。
ひとつは、植民地支配などの歴史的背景である。特に、この南アフリカにいて強く感じたことでもある。日本で起きている「ヘイトスピーチ」などの背景にも、この歴史に対する認識が低いことがあると思うから。


今あるものをどうやって分けるかではなく、何百年の歴史の中で奪ってきたものと作り上げてきた構造をきちんと、見ていかないといけないと思う。
今から始めるのではなく、過去から学ぶこと。
この意見に対しは、アフリカの人たちは大いに賛同してくれた。
昨日から続いている宣言文への提案にも、歴史から学ぶということは、意見として提出した。
それぞれのオープンスペースの提案を共有し、昼食の後は、全体での討論を行った。

全体討論は、手法としては面白かったが、200人、それも多様な背景を持つ、貴重な参加者から意見を聞く方法としては、別の方法があったかもしれない、と思う。
何をしたかというと、議論が分かれる文章に対して、Yes,No で分かれ、その後、ディベートをしていくもの。
その間に、最初に出された文章を一緒に変えていく作業が入った。
出された文章は以下のようなものであった。

  1. 西洋的な考え方を中心とした地球市民活動は必要ではない。私たちは、地域のコミュニティを支援していくべきだ。
  2. 貧困と開発について話すのはやめて、過剰な富や再分配、正義について話そう。
  3. 働きがいのある人間らしい仕事(decent work)をする権利と、労働市場を分けて考える必要がある。世界共通のベーシックインカムが必要だ。
  4. 私たちは、世界の民主主義をグローバルな議会会議や世界市民パスポートによって樹立するべきだ。
などなど。DEARでもみんなと話したら面白いテーマである。



それぞれの提起しているテーマは面白く、議論を深めていくきっかけになったが、その後の議論は、言葉の定義や説明が多くなり、参加者はどんどん減ってしまって、最初は200人いた人たちが、半分くらいしか参加できなくなってしまった。

ディベートの部分は、「フィッシュボール」と言って、意見がある人が椅子にすわり、発言をしていく方法。発言をしたら、椅子を開けて、新しい人がまた座って発言する。ディベートまではよかったが、その後の言葉の問題になると、専門的になって、ニュアンスが人によって異なり、参加が難し人が増えた。

今回の会議で特に気になったのは言語のこと。英語で進められるとどうしても、英語が得意な人が中心になる。社会的弱者からのヴォイスを聞く、と言っている割には、その配慮は足りないと思った。

さらに、英語で進めることで、その枠組も、価値観も西洋的なものとなってしまうのを、進めている方はあまり理解していないかもしれない。そのことは、口頭でも主催者に伝えたが、文書で出したいと思っている。

最後に宣言文は、「ヨハネスブルグ コンパス:質問と方向性」という表現になっていた。


そんなに性急に宣言を出すことより、もっとみんなで質問を出し合ったら、というBayoさん(昨日の基調講演者)からの提案があったからでもある。それは私も同感だった。宣言文を作るために、努力はされていたようだが、ここで合意を得るのは難しく、ここにいない人の声は入らない。
とはいえ、西欧中心の発想や世界観をなんとか変えていきたい、という意気込みは伝わった。今後も、このような議論を2年間続けていきたいということだ。ウェブ上でもつながっているので、意見交換にも参加していくつもりだ。

会議の後に行われたCIVICUSのイベント、全体の感想などは、次のブログに書きます。
(中村)

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