今日から「NGOフォーラム」が始まりました。
NGOの知識と経験を活かし、19日の午後から行われるWEFの議論に効果的に関わる戦略づくりが目的です。世界各国から、約250名の、NGO、教育者、研究者、国際組織などが集いました。
午前中は、セネガルの元文部大臣のママドウさんの基調講演が印象に残りました。彼は、15年前のダカールのWEFが開催された当時の文部大臣です。主に、以下のことが話されました。
- 万人のための教育(EFA)が達成されなかったのは、なぜなのか、考えてほしい。
- 世界で行なわれている教育政策は、ずっと前からあるもので、エリートによってつくられたもので、構造的に排除される人をつくっている。万人のための教育の達成のために、私たちはその既存のシステムを変えてきたのか?
- 基礎教育の定義も見直さないといけない。基礎教育は読み書きそろばんだけでなく、もっと本質的なものであるべき。市民性の理解、持続可能性の理解、そして、21世紀を生きるための基礎となるものであるべきである。
- 人々の人権を守ることがNGOの役割である。万人が教育を受けることは、国際社会、国、地域、NGO、すべての大人の責任である。それが、守られていないのは国際社会の責任である。
- 誰も置き去りにされてはいけない。教育が他の権利の扉を開く。
一つ一つの言葉に力があり、心に残りました。
ママドウ元文部大臣(左)とパリでも一緒だったセネガルのNGOスタッフ、シェイク(右) |
ランチタイム |
ランチの後は、分科会で、NGOフォーラムの宣言文や、WEFの宣言案などを、議論しました。分科会は言語で分かれ、私は、アラビア語の分科会に行きました。もちろん、英語の通訳があります。
そこでは、まず、NGOフォーラムの宣言文がアラビア語になっていないことで、参加者が内容をほとんど理解できていないことが分かりました。
アラビア語で彼/彼女の多くが指摘したことは、紛争地の教育について。起きる前に予防するための教育が必要。紛争後の方が大変で、復興や再構築の際に、軍ではなく市民がすすめるシステムをつくること、難民や移民の教育、軍事政権下でも教育を守ること、政府を監視すること、教師や生徒を暴力から守ること、などなど。具体的な提案に、納得するとともに、聞いているだけで胸が痛くなりました。
さらに、言葉について、インクルーシブ、公正、質の高さ、それぞれの意味が問題になります。パレスチナのNGOの人は、そもそも、国がないので、市民性という言葉はぴんと来ないと、言っていました。
混沌のような状態でしたが、みなさん言いたいことは言えたようでした。国際会議ではいつも感じるのですが、「インクルーシブ」や「参加」を考える会議の中で参加者を排除していないか、本当に教育が必要な人の声は聴けているのか、改めて考えました。
全体会で、それぞれの提案を共有し、草案委員会が、練り直し、宣言案が明日の朝、出る予定です。他の分科会でも言葉の定義の問題は出てきたようで、これは宣言文や行動計画を日本に持ってきたときも、同じように問題になるだろうと思いました。でも、そこから、自分の地域にとっての意味を考えてもよいのでは、と思いました。
ポスターセッションの後、レセプションがあり、国際NGO、プランで活動するパキスタンと韓国の少女のスピーチがありました。
- パキスタンの14歳の少女の言葉:「教育を受けることで、自分が変わり、周りも変わっていく。自分の村の子どもたちに教育を受けてほしい」
- 韓国の高校生の言葉:「学ぶプロセスで気づいていくことが多かった。教育は、結果よりプロセスが重要だと気づいた」
力強いスピーチに、参加者は引き込まれ、そして勇気づけられました。
(5/19 中村)
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