こんにちは。評議員の近藤です。
読んでいただき、ありがとうございます。
最初のうちは、宿泊と会場が一体でないことを不便に思っていましたが、毎朝15分ほどきれいなキャンパスの中を散歩できるのが嬉しいです。
実はだんだん疲れがみえてメモが粗くなってしまいました。
羅列のようになってしまって申し訳ありません。
■6月13日(土)
9:00-10:30 パネルディスカッション「対話の中の声」
8人のパネラーのトークとフロアのトークでした。
パネラー:アラン(ICAE代表・UK)、サンディ(ASPBAE・ニュージーランド)、セバスチャン(チリ)、ピエール(カナダ)ヴェロニカ(ケベック)、アーネ(?)、サラ(ザンビア)
サラ:
「学校では先生の言うことに「適応」しなければいけません」
「資本主義と植民地主義はコミュニティベースとは相反するものです。人々を無視することになります」
「エンパワメントは与えられるものではありません。得るものです。成人教育は人びとの現在あるがままから始めて行かなければなりません。公式な声明のすべては市民組織をおざなりにしてはいけないのです」
セバスチャン:
「これからの世代は、就職して、リタイヤして、フランスに旅行に行くという世代ではありません。新しい機会を得るために学ばなければなりません。けれど、働くためだけに生きたくない。より善く生きたいのです。若者はまるで働くためだけに研修や職業研修を受けます。教育は、より善くなるためのものであり、市民性を育むものであり、幸せになっていくプロセスの活動なのです」
ピエール:
「ダカールでは、ジェンダー平等と若者と大人の成長に焦点が当てられ、MDG'sはEFAよりも力強かった。子どもたちが学校に通えるようになることが強調されました。しかし、結局は基礎的な教育を修められないまま退学してしまう子どもが多いのが現状です」
「技術と職業教育にシフトしています。成人学習をどのようにつくりだすか考え直さなければいけません」
セルジオ:
「未来のことに戻りましょう。SDGが2030年までになりました。ユニバーサルアジェンダとして共通の目標です。ホリスティックで包摂的への教育は、市民組織のサポートなしには実現できません」
フロアから:
「労働と市民性を分けて成人教育を考えるのをやめましょう。そうした分離から次の段階へ行きましょう」
「経済開発への教育と人権の教育の両立をどうやってしていくのか。これらは逆の概念ではないのです。そして、技術より地球市民に重点化しよう。若者には成人教育のビジョンはなく、なんのために?と思っています。そんななかで、セバスチャンを祝いたいと思う」
「対話を進めて行くことが、民主的なプロセスです。未来に向けて私たちはどのように行動するのかが重要です。未来に対しては妥協してはならないのです」
11:00-12:30 ワークショップ「エンパワメントの再定義:異なった挑戦とアプローチ」
インド、チリの女性たちの活動から、「エンパワメント」とは、読み書きの学校に通った、習ったからなされるものではなく、そうした力をつかったときに得られるものだ、というメッセージのワークショップでした。
たとえば、スワンラタ(インド)の二ランタールという団体は、識字を習う女性たちに自分自身で畑づくりのための土地の測量をしてみたり、選挙に行って名前を登録したりすることの支援をしています。
非識字だった女性たちがそのようなことをすると、村では男性たちがおもしろがって見物に来るそうです。しかし、そうしたプレッシャーが逆に彼女たちが仕事を成し遂げたときに、とてもエンパワメントの原因になっていく、ということを報告してくれました。
エンパワメントとは与えられるのではなく、自分の力を使って社会的に何かができたときに自分で得て行く。
全く文脈は違いますが、共感がありました。
大学生を相手にしているとそのことを思います。
たくさん勉強しても、こちらが褒めても、結局は自分たちで何かアクションをしたり、成し遂げないと自信になっていかない。
自分の力になっていかない、力強く前に進む力になっていかない。
そういう実感はあります。
それを実践にしていくことが、quality of education(教育の質)をより善くしていくことなのだと思いました。
14:00-15:00 課題2「アドボカシーへのキャパシティービルディング」の総括
以下、2点についてのディスカッションでした。
この分科会では、アメリカ、イギリス、カナダの参加者が弾丸のようにディベートをしており、正直言語疎外を感じてしまいました。参加者のバランスのせいだと思います。
興味深いのは、このテーマには、いわゆる「北」の参加者が多かったです。
大学生などの若者の話などにもなっていましたが、途中モデレーターのセルジオが、「ブラジルでは、成人の学習者は貧しい人びとを指し、大学生は指さない。そういう世界のギャップもお互いにある」と指摘していました。
また、組織に関しては、ローカルやナショナルな組織に対して、グローバルネットワーク組織への加盟の呼びかけの難しさの声があがりました。
加盟することにどんな利益があるわけ?となってしまう、とのことです。
グローバルに連帯することそのものに価値があるということを見せる可視性の難しさがあげられました。
これは、DEARのネットワークでも同様のことがあります。
「DEARに入会すれば、どんな利益があるの?」と言われれば、「ニュースレターがあります、機関誌があります、イベントの会員割引があります」などになってしまいます。
でも、結局は参加する人自身が、ネットワークにどのような価値と意味を見いだすか、ネットワークをどのように使うのか、ということにつきます。連帯することに意味があることを理解してもらうのではなく、自分で見いだしてもらうしかないのです。
エンパワメントに良く似ています。
与えられるのではなく得る。
それから、この世界会議について、どれほど多くの人を呼べるかを考えた開催地決定の難しさがあげられました。
今回、アラブとアフリカの参加者の多くが、ビザがおりずに参加を断念しました。なので、アラブ参加者が、なんと3人しかいなかったのです。
コンゴの友人もカナダから拒否されたとのことでした。
ICAEの新代表候補者の一人であったブラジルのティモシーも、アメリカから拒否され、渡航できなかったため、申し立てをしているとのことでした。
アジア会議だとビルマ(ミャンマー)の活動家がビザを得られるか、心配されます。世界規模だと、そうした排除が顕著にあらわれました。
15:30-18:30 まとめの全体会
それぞれの課題の担当者から話し合いの発表があり、全体会を終えました。
(報告:近藤)
読んでいただき、ありがとうございます。
最初のうちは、宿泊と会場が一体でないことを不便に思っていましたが、毎朝15分ほどきれいなキャンパスの中を散歩できるのが嬉しいです。
実はだんだん疲れがみえてメモが粗くなってしまいました。
羅列のようになってしまって申し訳ありません。
■6月13日(土)
9:00-10:30 パネルディスカッション「対話の中の声」
8人のパネラーのトークとフロアのトークでした。
パネラー:アラン(ICAE代表・UK)、サンディ(ASPBAE・ニュージーランド)、セバスチャン(チリ)、ピエール(カナダ)ヴェロニカ(ケベック)、アーネ(?)、サラ(ザンビア)
パネラーたち |
「学校では先生の言うことに「適応」しなければいけません」
「資本主義と植民地主義はコミュニティベースとは相反するものです。人々を無視することになります」
「エンパワメントは与えられるものではありません。得るものです。成人教育は人びとの現在あるがままから始めて行かなければなりません。公式な声明のすべては市民組織をおざなりにしてはいけないのです」
セバスチャン:
「これからの世代は、就職して、リタイヤして、フランスに旅行に行くという世代ではありません。新しい機会を得るために学ばなければなりません。けれど、働くためだけに生きたくない。より善く生きたいのです。若者はまるで働くためだけに研修や職業研修を受けます。教育は、より善くなるためのものであり、市民性を育むものであり、幸せになっていくプロセスの活動なのです」
ピエール:
「ダカールでは、ジェンダー平等と若者と大人の成長に焦点が当てられ、MDG'sはEFAよりも力強かった。子どもたちが学校に通えるようになることが強調されました。しかし、結局は基礎的な教育を修められないまま退学してしまう子どもが多いのが現状です」
「技術と職業教育にシフトしています。成人学習をどのようにつくりだすか考え直さなければいけません」
セルジオ:
「未来のことに戻りましょう。SDGが2030年までになりました。ユニバーサルアジェンダとして共通の目標です。ホリスティックで包摂的への教育は、市民組織のサポートなしには実現できません」
フロアから:
「労働と市民性を分けて成人教育を考えるのをやめましょう。そうした分離から次の段階へ行きましょう」
「経済開発への教育と人権の教育の両立をどうやってしていくのか。これらは逆の概念ではないのです。そして、技術より地球市民に重点化しよう。若者には成人教育のビジョンはなく、なんのために?と思っています。そんななかで、セバスチャンを祝いたいと思う」
「対話を進めて行くことが、民主的なプロセスです。未来に向けて私たちはどのように行動するのかが重要です。未来に対しては妥協してはならないのです」
インド、チリの女性たちの活動から、「エンパワメント」とは、読み書きの学校に通った、習ったからなされるものではなく、そうした力をつかったときに得られるものだ、というメッセージのワークショップでした。
たとえば、スワンラタ(インド)の二ランタールという団体は、識字を習う女性たちに自分自身で畑づくりのための土地の測量をしてみたり、選挙に行って名前を登録したりすることの支援をしています。
非識字だった女性たちがそのようなことをすると、村では男性たちがおもしろがって見物に来るそうです。しかし、そうしたプレッシャーが逆に彼女たちが仕事を成し遂げたときに、とてもエンパワメントの原因になっていく、ということを報告してくれました。
二ランタールの女性たち |
全く文脈は違いますが、共感がありました。
大学生を相手にしているとそのことを思います。
たくさん勉強しても、こちらが褒めても、結局は自分たちで何かアクションをしたり、成し遂げないと自信になっていかない。
自分の力になっていかない、力強く前に進む力になっていかない。
そういう実感はあります。
それを実践にしていくことが、quality of education(教育の質)をより善くしていくことなのだと思いました。
以下、2点についてのディスカッションでした。
- 未来を考慮された若者や成人教育の主要な課題とは、ワークショップをとおして何であったか?
- ICAEへの主要な要望とは?
この分科会では、アメリカ、イギリス、カナダの参加者が弾丸のようにディベートをしており、正直言語疎外を感じてしまいました。参加者のバランスのせいだと思います。
興味深いのは、このテーマには、いわゆる「北」の参加者が多かったです。
大学生などの若者の話などにもなっていましたが、途中モデレーターのセルジオが、「ブラジルでは、成人の学習者は貧しい人びとを指し、大学生は指さない。そういう世界のギャップもお互いにある」と指摘していました。
また、組織に関しては、ローカルやナショナルな組織に対して、グローバルネットワーク組織への加盟の呼びかけの難しさの声があがりました。
加盟することにどんな利益があるわけ?となってしまう、とのことです。
グローバルに連帯することそのものに価値があるということを見せる可視性の難しさがあげられました。
これは、DEARのネットワークでも同様のことがあります。
「DEARに入会すれば、どんな利益があるの?」と言われれば、「ニュースレターがあります、機関誌があります、イベントの会員割引があります」などになってしまいます。
でも、結局は参加する人自身が、ネットワークにどのような価値と意味を見いだすか、ネットワークをどのように使うのか、ということにつきます。連帯することに意味があることを理解してもらうのではなく、自分で見いだしてもらうしかないのです。
エンパワメントに良く似ています。
与えられるのではなく得る。
それから、この世界会議について、どれほど多くの人を呼べるかを考えた開催地決定の難しさがあげられました。
コンゴの友人もカナダから拒否されたとのことでした。
ICAEの新代表候補者の一人であったブラジルのティモシーも、アメリカから拒否され、渡航できなかったため、申し立てをしているとのことでした。
アジア会議だとビルマ(ミャンマー)の活動家がビザを得られるか、心配されます。世界規模だと、そうした排除が顕著にあらわれました。
15:30-18:30 まとめの全体会
それぞれの課題の担当者から話し合いの発表があり、全体会を終えました。
(報告:近藤)
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