こんにちは。DEARスタッフの岩岡です。
6月3日(水)夜に、「機関誌オンラインcafé」を開催しました。
DEARが毎年発行している機関誌『開発教育』を片手に、自由に語り合う会として、昨年より企画しているこのイベント。
昨年はface to faceで開催しましたが(昨年の様子はこちら)、今年は新型コロナウイルスの影響により、「機関誌を読む会」改め「機関誌オンラインcafé」としてオンラインで開催しました。
機関誌66号を持って参加者みんなで記念撮影 |
今回は、機関誌66号の特集「教育の画一性を問う」をテーマに、10名の参加(昨年の倍の人数!)がありました。関東だけでなく、東北から関西までさまざまな地域からの参加があり、学校の教員をされている方や経験者が多かったです。
最初は、
1.自己紹介
2.今日・今の気持ち
3.機関誌のどの記事が良かったか、印象に残っているか(詳しい説明はまた後で)
をお話ししてもらいました。
- 子どもの権利条約についてきちんと理解していなかったなと思った。
- 道徳の教科化の意味や歴史について整理された。
- インタビュー記事に考えさせられた。
- 子どもの「個」を追う実践報告は、機関誌ではなかなか無いので貴重であった。
- 外国ルーツの子どもたちのために地域に入り、しっかりと調査をする内容が良かった。
- 人権教育の歴史や日本での実践状況がわかり、自分の受けてきた教育に疑問を持った。
参加者の一人が、「教員になった時に考えていたことが、『特集にあたって』に書かれており、全部の記事が良かった」とおっしゃっていたのが、編集委員としては嬉しかったです。
その後、印象に残った記事を選んだ理由や、思ったことなどを自由に話していきました。
- 「抗う」「批判する」ということを封じ込められている教育。
- 言われること、教えられることを「受容」してしまう子どもたち。
- 子どもたちに責任があるのではなく、声を発する場を学校がつくっていない問題。
- 「何事もなく終わりたい」という教師の本音と多様性や積極性への建前を見透かされる。あきらめられている。
- 教師の自由な時間が奪われており、決まったことしかできない。
- 多様性を尊重する文化は学校だけにとどまらず、その地域性の問題もある。
- 地域にはもっと学校に関わりたい住民もいるが開かれないのはどうしてか。
- 育てても、育てなくてもいいんじゃない?という教育が許されるのか。
- 学校や教員が取り組んでも、親たちが、元気なクラスを「荒れている」、静かなクラスを「いいクラス」とし、自由な教育や受験に役立たない教育への理解、合意に達せないことがある。
- 親が「塾に行かせないとまずい」「習い事をさせなくては」と同じ方向を向く。大人が教育について学ぶ必要性がある。子育ての画一性への批判的思考など。社会教育は大切。
個人の経験や現場で奮闘されているリアルな声などを交えながら、「教育の画一性」ということについて話が膨らんでいきます。
そして、話は自然と、新型コロナウイルスの感染拡大による教育の影響へ…。
- 多様な教育への期待。
- 教育そのものの目的と役割が問われる。「なんで学校行かなきゃいけないの?」。
- 学校、公民館、図書館等、教育施設に「来る」子ども・人に「提供する」教育からリーチアウトし、学習保障をする教育が求められる。
- 「学校に来られない」ということへの対応が進んでいるが、これがどのように継続されていくのか。
- 「アフターコロナ(感染症との共存)」の教育を考えたい。
たっぷり2時間語り合い、最後に感想を話して終わりました。
- 話すことで考えが整理された。
- やっぱりいろいろな人と話したいし、話すと気づきがある。
- 疲れて参加に気が乗らなかったけど、来て良かった。
- これからできそうなことのヒントをもらった!
今回のイベントは、対面と違ってオンラインの対話の難しさを感じながらの開催でしたが、一人ひとりが自分のペースで参加できたことや、自分の住んでいる地域から気軽に参加できたことが良かったと思います。
日本の子どもたちの教育を取り巻く問題はたくさんありますが、新型コロナウイルスの影響によってそうした問題が様々な形で表出し、学校や教育のあり方が問われている今だからこそ、「教育の画一性」を考える意義があると思いました。
6月より私たちの暮らしや学校、仕事など様々な活動が通常のペースに戻ったように見えつつ不安定な状態が続く中で、あえて立ち止まって考える、ゆったりと語り合うことができ、とても貴重な時間を過ごすことができました。ご参加くださった皆さん、ありがとうございました!(報告:岩岡由季子)
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