機関誌オンラインcafé「開発教育この10年、そして次の10年へ向けて」レポート

こんにちは。DEARスタッフの岩岡です。

5月12日(金)夜に、「機関誌オンラインcafé」を開催しました。

「機関誌オンラインcafé」DEARが毎年発行している機関誌『開発教育』を片手に、自由に語り合う会として、2019年より企画しているイベントで、年に1回、最新号発行後のこの季節にオンラインにて開催しています(昨年の様子はこちら)。

今回は、機関誌69号(40周年特別号)の特集「開発教育 この10年、そして次の10年へ向けて」をテーマに開催しました。参加者は、学校教員やNGO・NPO、地域で開発教育に取り組むの方々が集まり、特集に寄稿してくださった方も参加されました。


最初に簡単な自己紹介(お名前、DEARとの関わり、印象に残っている機関誌や記事など)をしました。参加者の皆さんのDEAR歴(DEARと出会って何年経つか)は、3~4年の方から、20~30年の方まで様々でした。機関誌については、最近はあまり読んでないという方から、一度ならず何度も寄稿してくださっている方も。機関誌の特徴として、実践と研究を両方載せているのはユニークで、特に先生方の取り組みを載せているのは素晴らしい、といった感想もあり、編集する立場としてはとても嬉しく思いました。

その後、執筆者の皆さんから執筆した感想やその後の話などをお一人ずつ話していただき、それをもとに一人ひとり感じたことなどを共有していきました。

「多文化共生社会を生きる次世代の子どもたちを育む取り組み―滋賀県での10年の実践を振り返って」/大森容子さん(滋賀県国際協会

  • これまでに他団体からの依頼で単発の事業について記事を執筆することはあったが、国際協会の事業をこうして総括して執筆することは実は初めてで、色々思い出しながら書いた。
  • 今でこそ多文化共生という言葉や実践は広がってきたが、私たちが始めたころはわりと先駆け的な活動。外国にルーツがあることを肯定的に捉えられず、社会で様々な弊害を受けてきた子どもたちをたくさん見てきたが、企業に就職後、営業職としてはカタカナの入った名前が「武器」になった、と連絡をもらったのは嬉しく感じた。
  • 原稿の最後に、次世代の育成についても執筆した。現在、若者向けの研修会を行っている。一般の人たちにとっては、ブラジル人学校やモスクなどはなかなか機会がないと入りにくい場所で、新鮮な目で見てくれる。そういう人たちに、生の現場を実際に触れてもらえたら。
  • 国際協会の事業内容は、なかなか人に説明することは難しいが、今回はそれを文章化し棚卸をすることができたと思う。

<参加者より>
  • 教員や若い世代の変化は感じられるか? ➡ 国際教育研究会Glocal net Shigaは、今でも退職後の先生が第一線で出前授業を対応したりしている。若い先生は忙しいのか、継続的に参加する人はなかなかいない。腰据えて参加する難しさはあるのかもしれない。
  • 若い先生を見てると、そういった活動に腰を据えて参加するのは難しいのだろうと思う。若い先生にどう声がけしていったらいいのかな。彼らも時間がない。中堅にもそれを支える余裕はない。
  • やりたいことの分散化はさらに進んでいる。国際協力とかテーマが明確だった頃と比べると、今は扱う社会課題が広がりを見せており、教員自身が引き受けるものの範囲が広くなっているように思う。

「DEARとNGOが協働したキャンペーン『世界一大きな授業』と『SDG4教育キャンペーン』」/三宅隆史さん(教育協力NGOネットワーク(JNNE)事務局長、シャンティ国際ボランティア会)

  • DEARとNGOが協働したキャンペーンについて記事を執筆した。ほぼ毎号記事を執筆・投稿しているが、読者の反応はなかなか見えにくいと感じている。知らない人にももっと知ってもらうために機関誌を活用できたら嬉しい。(編集委員コメント:アンケートの回収率アップに向けてがんばります!)
  • 69号特集の中で印象に残っているのは、「開発教育と開発教育協会に関する会員アンケート」報告。関心のあるテーマ(最初と現在)の広がりを感じている。最初に関心を持ったテーマは、「貧困問題(海外)」「南北問題」「国際協力」が突出して多いが、現在は「SDGs」「まちづくり、地域づくり、市民参加」「在日外国人との共生」「日本の教育問題」などの関心が高まっている。
  • 関心テーマの広がりはメリットにもなり、デメリットにもなり得るのではないか。今の地域における課題は、滋賀県の実践のように「多文化共生」が一番大きいと思うが、それは開発教育でなくてもできること。「DEARのミッションは何なのか」を改めて考えていくことが必要ではないか。
<参加者より>
  • 2020年より「世界一大きな授業」から「SDG4教育キャンペーン」に変わったが、これからも「世界一大きな授業」の実践も続けていきたい。
  • 「SDG4教育キャンペーン」に変わってから、政治が絡む場合、上(校長など)にどう説明をしようかな、と悩んだこともある。先生個人としてやりたいことと、学校の方向性が同じ方向を向いているかによって、できることが左右されることも。特に、校長や教育委員会のベクトルがどこに向いているか、が大きいと感じている。

「学校での開発教育 この10年」/小野行雄さん(大学教員、NPO法人草の根援助運動事務局長)

  • この10年間の学校での開発教育の実践について執筆した。当初はこの10年でそんな大きな変化はないのでは、と思ったが、執筆してみると様々な変化があったことに気づいた。
  • 特に大きな変化を感じたのは「ジェンダー」について。LGBTという言葉は、10年前はメジャーではなかった。
  • 原稿には入れていないが、本当は「難民」の問題も入れたかった。だいぶ学校では扱われることが増えてきたように思う。あとは「貧困問題(日本国内)」。10年前はあまり言われなかった。社会の変化は10年で見ると大きい。
  • 開発教育の枠組みがとても広がっているように感じる。「開発教育ってなに?」を説明しにくいが、様々な取り組みの根っこにあるのは開発教育、ということも多い。空手の流派みたいだ。
<参加者より>
  • 10年前と比較すると、開発教育の認知度にどれくらい変化があるのか、が気になった。
  • 学校の中やJICAの研修などでは、国際理解教育という言葉をよく聞く。DEAR会員になってから開発教育という言葉に慣れてきた。
  • JICAの教師海外研修では、事前・事後研修がある。担当者の開発教育への関心が高いと、プログラムも開発教育が意識的に盛り込まれる。以前の研修では、先生たちは開発教育に関する知識や実践を受けずに派遣され、研修先で衝撃を受けた先生たちが咀嚼できないまま授業実践するということもあった。そういう意味では、今の研修は変化してきた。
  • 途上国の(日本にはない)豊かさを羨んだり、途上国の悲惨な現実を憂いたり、研修帰国後の先生は様々な気持ちを語るが、その気持ちをどう専門性に還元できるか、というのは気になっている。まさにその架け橋の部分に開発教育があるのではないか。

ユース座談会「開発教育と出会って、そしてこれから」/岩岡由季子(DEAR事業担当)

DEARでボランティアをしている大学生3名と座談会を実施した。それぞれが開発教育と出会ってからの変化が印象に残っている。進学や就職など、人生の選択に大きな影響を与えている。

<参加者から>
「開発教育とは?」の定義が色々話されていて、おもしろい。ただ、どれも絶対に開発教育か?というとそういうわけでもない。

座談会「私と開発教育~この10年、そしてこれから~」

<参加者から>
  • 「かつてはワークショップをやって教室がにぎやかになることを懸念する先生もいました」(30頁)という記述を読んで、たしかに最近は少なくなってきたなと思う。
  • 「開発教育的なこと」は理解されてきているが、本質的なことは理解されているのだろうか。参加型学習を形だけやっているのが増えているのではないか。なぜ参加型なのか、が抜け落ちている可能性はあると思う。
  • 授業の中で、SDGsすごろく「ゴー・ゴールズ!」(国連広報センター)をやってみた。学生からは、短絡的なクイズの答えもある一方で、すごろくを通じて初めて知ることもあった、という反応。この状況をどう受け止めたらいいのか、という気持ちになった。いろんなレベルの人がいて、いろんなニーズがある。


話していく中で、「開発教育」の実践や捉え方が広がってきていることが度々話題となりました。そこで最後に、「何をもって開発教育とするのか。大事な要素とは?」を一人ずつシェアしていきました。
  • 社会問題や地球的規模課題を構造的に理解すること。構造理解と変革は強調したい。
  • 構造的理解を進めようとすると、講義するしかなくなる。受け手の発達を待つことも大事ではないか。社会的公正は教えてもダメ。答えを教えるのではなく、受け手が段々階段を登れるようになること。ある段階では分かってなくてもいいよ、という受容性も開発教育的ではないか。
  • 歴史を考えること。植民地支配、搾取の歴史がスタートして今がある。一方で、歴史の話は講義や暗記になりがちにもなる。
  • 視点や見方を変えること。地域と関わっていると、「ある」のが当たり前。今まで何気なく見ていたものを「どうしてこうなの?」と捉え直すと、そこから地域の構造的な在り方にも気づくことができる。
  • (先ほどの)SDGsすごろくで「初めて知った」という学生たちが、今の社会のマジョリティではないだろうか。これまでの教育で身につかなかったということ。先日、スマホのワークショップを高校3年生向けに実施して反応はよかったが、裏を返せば高校3年生で知らないということでもある。
  • 初めて知る際の知り方はとても重要。教師はきっかけを与えていくしかない。知らないことを知る状態にもっていかないと
  • 歴史と自分のアイデンティティ、構造理解と自分のつながりを知ること
  • 気づきを与えてその先は?もっと行動を推し進めるべきではないか。
今回のオンラインカフェでは、学校や地域、NGO/NPOにおける開発教育の実践や変化など、特集誌面には掲載しきれなかったお話も聞くことができました。

最後に話した「開発教育とは」は、初めての人にうまく説明できなかったり、なかなか答えが出ないな~とモヤモヤする部分もあるのですが、なんとなくこうかな?と考えていることを他の皆さんが言っているのを聞いて、「あ、やっぱりそうなんだ!」と自分の中で確認できたような気がしました。こうして集まって言語化して話しあうって大事ですね。
ご参加くださった皆さん、ありがとうございました!
(報告:岩岡由季子)

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