DEARカレッジ 第5回「貧困・格差」を開催しました。

こんにちは!

今回、ブログを担当させていただきます大学院生のボランティアスタッフ、氏井紅葉(うじい・もみじ)です!

どうぞよろしくお願いいたします。

今回は、オンラインで6月から開催されている「第3期DEARカレッジ SDGs学習のつくりかた」の第5回「貧困・格差」のレポートです!


プログラム

1. グループディスカッション(弱者とは?)
2. 講義「貧困・格差」 講師:井手英策さん
3. 質疑応答
4. 参加者の感想
5. おわりに-わたしの感想

1.グループディスカッション

毎回おなじみ、ブレイクアウトルームに分かれてディスカッションです!

今回のディスカッションテーマは「<弱者とは?>をあなたならどのように説明しますか?」(弱者って誰のこと?弱者に対してどんな気持ちを抱いてますか?)

ディスカッションの後、何人かの方に発表していただきました↓

- ボリビアに住んでいた時に言語が不十分で何度も騙されそうになり、自分は弱者だった。そのため、言語習得を頑張った。
- 自分が弱者の立場に置かれて弱者に気づくことがある。正規雇用から非正規雇用になった時、非正規はこんなに辛いんだとか、体が自由に動けなくなった時、こんなに大変なんだってことがわかる。

ディスカッションテーマに対する井手さんのコメントは、

「想像力が大事である」

確かに、「自らが弱者になって弱者に気づいた」というコメントが多いのが印象的でした。ということは、自分がその立場にならない限りなかなか気づけないという現状があるのかなと思います。その中で想像力を持てば、確かに気付けることが増えるかもしれません。

井手さんは弱者は、その人が弱いのではなく、状況に応じて弱い立場に置かれるってことを考えながら今回の講義を聞いてほしいということでした。

2.講義「貧困・格差」講師:井手英策さん



今回の講師である井手英策さんは、慶應義塾大学経済学部で教授として教壇に立たれています。

ご自身の原体験から得た気づきやデータをもとに「貧困・格差」についてお話しいただきました。

井手さんの言葉でとても印象的だったのが、
―「運」や「不運」で誰もが弱い立場に置かれるー

例えば、心の病になり、働けなくなれば、急に自分は弱い立場に置かれてしまいます。

そのような時に、今の日本社会ではなかなか生活をしていくのが厳しいのが現状です。

では、どうすれば良いのか?

まず、井手さんは以下のような考え方は良くないと述べています。

・「困っている人」を助ける
理由:日本社会では「自己責任」という考え方が他国に比べて高く、困っている人を助けようとすることに対してそっぽを向いてしまう。また、今の日本社会は、自分のことを中間層だと思い込んでいる人たちがギリギリの生活を送っている状況であり、自分自身の生活を守るために、弱者について考える想像力や彼らに対する寛容性が欠如している。「誰もが、みんなが安心できる」という支援であれば困っている人も含まれ、みんな前向きに受け入れることができる。また、「困っている」人も劣等感や罪悪感を感じずに支援を受けることができる。

・格差の是正
理由: 格差があるかないかではなく、サービスにアクセスできる人とできない人がいることが不平等だという考え方が大事である。例えば、貧乏だという理由で病院にいけない、大学にいけないそれは不平等である。そういったことのない社会を実現することが大事だということ。

万人のアクセス保障を井手さんは提案しています。

こういう考え方からベーシックサービスは出発しています。

◯現金ではなく、ベーシックサービス
ベーシックサービス(生活するのに誰もが必要とする基礎的なサービス):
健康 (医療など)
精神的な自律(教育など)
社会参加(高齢者にとっての介護サービスなど)

病院、大学、介護などの無償化が、施しではなく誰もが権利としてサービスにアクセスできることが大切だと井手さんは述べています。

◯自由・平等・尊厳の新しい同盟
イマヌエル・カント『道徳形而上学原論』の指摘

「人間が互いを同等な存在とみなし、人間自身を手段ではなく、目的として扱うことで尊厳は守られる」

• 真に自由で、尊厳を重んじる社会とは?
→ 誰もが選択肢を持てる社会=誰もが同等と見なされ、平等に権利を保障される社会
• 同等のもう一つの意味・・・誰もが同等に義務を果たせる社会
→ 義務を果たしたくても果たせないという事実は尊厳の喪失と直結してしまう

所得ではなく尊厳の平等化をめざすからベーシックサービスということです。

誰もが平等に扱われなくてはいけないし、人間の尊厳と自由はセットであると井手さんはカントを引用してお話してくださいました。

◯弱者への想像力/品位ある最低保障(Decent Minimum)〜<保護>から<保障>へ
弱者は、ただ施しを受けたいとは思っていない、彼らの社会的な責務を果たしたいと思っているからこそ、消費税という誰もが払う税金を増税することで、これらベーシックサービスが堂々と受けられる社会にしていく必要があると井手さんはおっしゃっていました。

働きたくても働けない人たちの生存を保障しなくてはいけない、働かない人の保護を働けない人への保障に変えて、社会的な責務を果たせるような状況を作っていかなきゃいけないと語ってくださいました。

井手さんは、「品位ある最低保障(保護でも助けるのでもなく保障をしている)」
ということを強調していました。

まずは、中間層がベーシックサービスを受けられることで自らの不安から解放され、不安を無くした人たちは弱い立場の人を想像できるようになるということだそうです。つまり、好循環になるわけですね!

所得で人の扱いを変える社会から共通のリスクに備えあう社会にしていき、弱者を助けるのではなく誰もが「不運」でなってしまう可能性のある弱者を生まない社会にする・・・そんなお話を聞いて、こんな安心できる社会が早く実現できたらいいなと思いながら聞いていました。


3.質疑応答

Q: 増税して、防衛費にならないか?政治不振でみんな動かないのでは?
A:消費税にこだわる理由は、消費税法に年金、医療、介護に関わる費用にしか当てないとある。なので、消費税は、防衛費には当てられない
所得税や法人税の方が防衛費に使えてしまう。これが教育リテラシー、主権者教育的なことが必要という議論につながります。

Q:ベーシックサービスを予算以外の意味で、実現しないということに妥当性はあるのか?なぜ、実現しないのかその理由を知りたい。
A:実際、政府はベーシックサービスの無償化に舵を切っている。
Q:弱者を守るために所得制限はあってもよいのではないか?所得制限を撤廃することが弱者を守ることにつながるという意味は分からなかった。
A:日本社会における低所得のメンタリティは、「人様のご厄介になるくらいなら死んだ方が良い」という理由からなかなか生活保護も受けない。


4.参加者の感想

・税金へのイメージを変え、現状の腐った政治ではなく、現実的に暮らしを変えるための手段としての政治参加を生徒に授業内でいかに関心を持って聞いてもらえるか、教師の腕の見せ所だと思いました。

・「国民みなが安心して暮らせるような国」になることを強く願いました。そこで私には何ができるのか、それももやもやしています。

・先生がおっしゃっていることはなるほど。と聞くことができたが、ジブンゴトとして落とし込むことが難しかった。現実を知り、さて、自分には何ができるのだろうか、、、とモヤモヤして終わった。




5.おわりにーわたしの感想

参加者の方のコメントで「自分が何をできるのか」をすごく考えていらっしゃることがわかってみなさん本当に素敵だなと思いました。

私は、昔国会議員の事務所でインターンをしていた経験があり、議員に向けた井手さんの講演を何回か聴かせていただいたことがあります。その時は、とても感動しましたが、そこで自分が何をするかまでは考えられなかったなーと今更反省してます・・・。

今回の講義は、個人的にとても、共感するものでした。

私は、「不運」にも2度の大きな家計急変を経験しています。2度目の時は、大学4年生の後期で、あと1週間学費の納付が遅れたら退学でした。そんな状況の中で私は大学院進学を希望していました。ですが、大学に学費もなかなか払えず、退学寸前・・・大学の学生センターに毎日のように出向いて経済的な相談をしていたので、事務の方に進路について聞かれた時、後ろめたさから「進学を希望している」とは言えませんでした。結局、進学し、今大学院で博士後期課程に在学できているのは、大学の学費免除や複数の財団から奨学金をいただいているからです。でも、正直ずっと心に罪悪感はあります。

「人様にお金を出してもらってまで大学院にいていいのか」

私は同年代のほかの人と同じように年金やほかの税金も払いたい、社会に返せるものは返したいと思って生きています。

だからこそ、今回井手さんの言葉は一つ一つが私の心に残りました。
「ベーシックサービス」この考えがもっと広まれば良いなと思います。






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