こんにちは。
今回ブログは、「第3期DEARカレッジ SDGs学習のつくりかた」の第6回「多文化共生」のレポートです。
担当は、佐藤友紀です。よろしくお願いいたします。
プログラム
1. グループディスカッション1「あなたは『多文化共生』してますか?」
2. 講義「多文化共生教育のこれまでとこれから」 講師:金 光敏さん
3. グループディスカッション2「『多文化共生教育』について気づかされた、自分になかった点や足りてない点は?」
4. 質疑応答
5. おわりに
1.グループディスカッション1
今回の最初のディスカッションテーマは「あなたは『多文化共生』してますか?」
グループに分かれて、問いに対してのYes or Noと、その理由を話しました。
ディスカッションで出てきた意見は…
・Yesと言いたい。行動にも反映させたい。でも、マイクロアグレッションになってしまっているかもしれない。
・外国ルーツの人など、文化的な違いがある人とは価値観の相違を前提にして受け入れられるのに、日本人同士では許容範囲が狭まってしまうこともある。
…などでした。改めて考えると、多文化共生って何だろう?と自分に問いかけることが今回の出発点となりました。
2.講義「多文化共生教育のこれまでとこれから」~在日コリアンの経験からすべての外国につながる子ども支援を考える~
生い立ちと現在の活動の原点
講師の金光敏さんは大阪生まれ、大阪育ちの在日三世。
学校では全く勉強しなかったという金さんですが、高校卒業後に約5年間、まだ当時軍事政権から民主化へと向かう過渡期の韓国で過ごし、格差や植民地史の視点から社会を眺める姿勢を学びました。この経験が、その後の教育に携わる現在のご自身につながっていると振り返りました。家族のいる大阪に戻って民族教育団体の専従スタッフになり、公立小中学校に設置された民族学級の制度保障に取り組み、その活動の経験から新渡日の子ども、新在日二世、三世の教育支援に幅を広げてきています。
外国につながる子どもの教育支援…その起源とは?
金さんは、多文化共生を、ともに学ぼう、ともに生きようというスローガンに終わらせないためにも歴史をしっかりとらえる必要がある、と強調されました。
例えば
日本が近現代に入り、他国からの集団的移動を受け入れてきたなかに、大きくは以下の3つのカテゴリーがあります。
・日本の植民地支配期における台湾、朝鮮半島からの移住
・中国からの帰国者(旧満州国の中国残留孤児、残留婦人)
・バブル期に労働力補充を目的に、入管法を変えて受け入れた南米の日系人
いずれも日本が軍事的、経済的に膨張する中で、国家の大きな力の前で翻弄されて生きてきた人々です。
他にも
・興行ビザで迎え入れた歓楽街で働く東南アジアの女性たち
・看護・福祉現場の人材不足を補うための経済連携協定(EPA)による東南アジアの人々
・広い分野で労働不足を補う技能実習生
など、さまざまな制度を通して来日していますが、一人ひとりが生活者であり、夢や希望を持つ個人であるという受け止めではなく、日本の都合にあわせ必要とする労働力であるというゆがんだ見方が横行し、人権意識の課題がある受け入れと言わざるを得ません。
歴史的な視点を持つことの重要性
外国人登録令(天皇最後の勅令)が発せられたのが、1947年5月2日、日本国憲法施行の前日でした。
つまり、日本に残留していた旧植民地出身者を外国人と位置づけた直後に国民の権利を明記した日本国憲法を施行し、そこからしばらく、旧植民地出身者は無権利状態におかれます。変化の兆しが出てきたのは1965年日韓基本条約の後のことです。
例えば、教育について。文部事務次官通達にはこうあります。
「義務教育の対象ではないが、希望する場合に日本人同様、公立学校に通学することできる」「ただし、特別な配慮を要するものではない」
つまり、就学は権利ではなく、公立学校への受け入れは配慮であり、”恩恵”であり、民族の文化や言語を学ぶといった固有のニーズを主張することは許さないというものです。
「サービスを享受したいなら、我慢してもらわないと困る。学校に通わせてあげるだけでもありがたいと思えというロジックが隠されている。」と金さんは述べています。
これはその後、中国帰国者の子どもたち、日系人の子どもたちが、支援体制やノウハウのない学校にいきなり放り込まれることで生じた壮絶ないじめや、学習支援・日本語学習の問題などへとつながっていきます。
「だからこそ、脱植民地主義の視点をわすれてはならない。戦争の過程で被害、加害があった歴史を忘れず、その教訓をもとに今の人権を語る必要がある。多文化共生とは、単に異文化を学びましょう、外国人ががんばれる社会をつくろう、ではない。がんばるべきはマジョリティであり、マイノリティ(外国人)をマジョリティに引き上げることがマイノリティにプラスだという発想は危険だ。」と金さんは強調します。
まとめのメッセージ
講義の最後は、こう締めくくられました。
「私は子どもの頃、日本人と比べて明らかに貧しい生活環境で育ち、在日であることを馬鹿にされ、からかわれてとても辛かった。それは心の問題や思いやりの不足の問題ではなく、法律の名のもとに、与えられなかった権利がたくさんある。教育基本法も、労働基準法も、最低賃金法も私たちを守ってくれなかったし、今は改善された法律や制度であっても、そのことは、その支援のまえでシャッターを下ろされるような経験をしてきている。
今なお社会の中に横たわっている植民地主義的な考え方や、差別は矮小化する無知や無理解によって、登場人物や対象を変えながら差別する構造を温存させてしまっていることを考えていただきたい。
SDGsは一人ひとりの生き方を豊かにするということにとどまらず、目の前にある差別を無くすことにエネルギーを注いでいくこと。学校教育は格差をなくす、差別を是正する使命を担う。その使命を認識し、その役割を活かして変えていかないといけないのではないか。」
3.グループディスカッション2
金さんの講義を受けての感想や、「『多文化共生教育』について気づかされた、自分になかった点や足りてない点は?」というテーマで、グループに分かれて意見を出し合いました。
・今日のような問題をどう話したら良のだろう。語り継ぐ勇気を持たなければならない。
・歴史の視点を持つべきだと気付かされた。
・日本の中にある差別の構造をどう切り崩していけるのだろう?
・自分達の既得権益に気づいていない。マジョリティがどう変わっていけば良いのだろう?
・今も昔も外国人労働者が第一次産業で働いていることで経済が成り立っているという事実を再認識した。
・自分のアイデンティティを知ろうとしない、できない、したくないと思わせるような日本社会について。在日の人たちだけでなく、日本人でもそう感じている人がいる。
などが共有されました。
4.質疑応答と、金さんからのメッセージ
【質問】
・日本社会に存在している差別の構造をどうやったら切り崩していけるのでしょうか?
【金さんからの回答】
ヘイトスピーチは世界中にあるが、欧米は移民難民の排除から外国人憎悪が生まれているが、日本のヘイトスピーチは、中国・韓国・北朝鮮への対抗心がその背景にあることで特徴的だ。日本では現在のところ、移民・難民の排斥が目立たないが、日本への移民者が増えていけば、そうしたことが顕著になっていくだろう。すでに在留外国人が300万人を超え、それは増加傾向になる。事実上の移民国になっていると理解したほうがいい。少子高齢社会をむかえ、日本が選ばれる国にならなければならない。そのためにも、国籍によらず生活環境や権利を守ることと、差別を許さない法整備は欠かせない。
公立学校の教員採用は、外国人も受験できるが、期限を付さない常勤講師としての採用にとどまり、昇進に制限を加えている。公務員も、係員にはなれるが管理職にはなれない。弁護士にはなれるが家事調停委員等にはなれない。
社会の枠組みを変えていく場面、政策決定の場面に当事者が参画できないような構造になっている。日本社会を形づくるメインストリームにマイノリティが入ることは重要だ。外国人だけでなく、女性、LGBTQ、障がい者などすべてのマイノリティにも同じことがいえる。
【質問】マジョリティの中にいるとマジョリティの既得権益に気づいていないことが往々にしてある。どうやったら気づいていけるのでしょう?
【金さんからの回答】
マイノリティと一緒に過ごして、揉まれないといけないのではないか。それは、被差別の人とつながろうと思ってコミュニティに入っていった結果、被差別の当事者から「差別者の側にいる自分を認識させられる」ということが大事。かつて、大阪の先生たちの反差別教育の出発点は部落解放教育だったが、当事者に冷淡な態度を取られながらも、被差別者の強さや想いを受け止めていった。当事者とつながることが一番大事だ。
また、教員養成、対人支援職の養成課程で人権科目が必須になっていない。これは社会の欠陥だ。困りごとを抱える人の問題は、社会構造の問題だとの視点から読み取ることが大切だ。DEARカレッジのみなさん自身が率先して現場に出かけていくことが大切だ。
【質問】勉強しておいてよかったことは何ですか?
【金さんからの回答】
学校では全く勉強してこなかったので、今になって、勉強しておけばよかったと思っている。
一方で、私自身は教育に救われた。子どもの頃、朝鮮人は本当に貧しく、自分が朝鮮人であるのが嫌で、隠し通さなければいけないと思っていた。今、本名を名乗っていることが奇跡だと思う。中学校の時の乾先生との出会いが自分を変えた。
先生の前で親を恥ずかしいと言ったら、烈火のごとく怒られた。
「字の読み書きができない困難な中でも、あるいは人の二倍も三倍も荷物を背負って生きている、あんたの親をあんたが尊敬せずにどうするんや!」
普通なら学校での悪事について言いに来る先生が多いなか、乾先生はよく家に来ては、「お母さん、あなたの息子はやさしい子や」と言って褒めて帰っていった。息子を褒めてくれる先生の存在に母は救われたと思う。
後に、乾先生になぜそこまでしてくれたのかを尋ねたら、「この中学校に来て、在日の人たちの生きている現実を見て、教員の課題やと思った。私たち教員は社会の差別構造と戦わなあかんと思った」とおっしゃっておられた。
また、乾先生は私を民族学級に引き込もうとしたが、自分が朝鮮人だという事実から逃げたくて、民族学級に対抗した。それでも、先生は引っ張っていこうとした。そこは激しい戦いだった。嫌がる子どもを無理やり引っ張っていく、これを見て人権侵害だという同僚教員もいたそうだ。一見、そう見えるだろう。しかし、あのとき、乾先生が身を引いていたら、いまの私はない。それに根負けしたことで、私は自分の民族と向き合い、そして人になれた。
今、次は私自身が乾先生のようになる番だと思っている。
少数者に対してマジョリティに迎合する選択を強いるような社会構造を変えていかなければならない。子どもの背景と向き合い、差別構造を見抜き、必要な援助を編み出していいける教育者を生み出す側に自分が立っていきたいと思う。教育は人間解放の手段である。それを武器にして、歩んでいけたらと思う。
佐藤の所感
「私の原点は怒りにある」と話しておられた金さん。ご自身の生い立ちや出会いを語り、歴史の事実を確認し、参加者の質問に答える中で、大阪弁でくるみ込ながらも、その怒りからくる信念は、ズシリと私たちの中に残りました。
「今私があるのは乾先生のおかげ。だが、その出会いは、私がたまたま大吉を引いたようなものであって、それではいけない。」と語る金さんのことばは、高校の教員であった私をドキリとさせました。
私は、生徒たちの根っこの部分と向き合ってきたのだろうか。彼ら、彼女らのやり場のない怒りを見逃してきたのではないだろうか。
「教育は人間解放の手段である」という金さんのメッセージを受け止め、これからも開発教育の視点で自問自答しながら、ともに考えながら、一歩ずつ進めていきたいと思います。
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