「2019釜山デモクラシーフォーラム」の2日目、10月15日(火)は、朝から3つの分科会に分かれてセッションが始まりました。
※1日目の様子はこちら
1.アジアの民主主義
午前の最初のセッションは、「アジアの民主主義」に出ました。釜山市の国立大学である釜慶大学校の准教授のHyung-sik Shin氏の、「民主主義市民教育(DCE)」の話は印象的でした。お話のポイントは以下の3点でした。
課題としては、ツールキットを常に更新していくこと、グローバル、地域、国レベルの複雑性に対応しながら、SDG16を推進していくことの難しさ、地方の文脈に落としていくことの難しさ、などが挙げられました。機会があったらGALAの研修にも出てみたいと思いました。
また、アジア民主主義ネットワーク(AND)の事務局長のIchai Supriadiさんからは、SDGsを地域の言葉に直して地域で何が起きているか、もっと深いところで理解することが重要であることが話されました。
また、ANDフェローのAbhay Luthraさんからは、次世代の育成が必要で、市民社会の活動に関わっていく人を育てることの重要性が話されました。
民主主義の事例はオープンソースとして共有できること、NGOスタッフにもアンラーン(学びほぐし)が必要で、草の根の人々や団体が持っている力に気づき、権力の所在に気づいていくこと、学び続けることの重要性が話されました。
また、香港の事例などを出し、国家の安全(セキュリティ)と社会の安全(セキュリティ)は異なることが提起され、人々の安全(セキュリティ)を守るための民主主義をすすめるにはどうすればよいのか、などの議論が行われました。
人権や民主主義が脅かされている現在進行形の問題に対し、教育もいつものやり方を変えていく必要があると思いました。アジアの仲間たちと一緒に考えていくことの意義も感じました。
2.芸術を通したGCED
午前の二つ目のセッションは、「芸術(平和の少女像)を通したGCED」に参加しました。
愛知トリエンナーレにも出展した「平和の少女像」をパートナーのKim Seo-Kyungさんと作成したKim Eun-sung さんがスピーカーでした。
Kimさんは、愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」での議論には、芸術家は全く参加できずに、一方的に中止されてしまったことを残念に思っていました。一方で、日本の人たちが芸術を理解し、愛していることもよくわかったので、「対話を始めるスペースが必要だった」と言っていました。
そして、「平和の少女像」を作った背景を話してくれました。少女像は1992年1月から現在も毎週行われている「慰安婦」問題解決のための水曜行動が、1000回を迎えたことを記念して2011年12月に建てられました。
少女の後ろに伸びている影は、ハルモ二(おばあさん)の姿になっています。少女の手は、怒りと緊張を表す握り拳になっており、はだしの足は、彼女たちの歩んできた人生の険しさを表したそうです。その足は少し、かかとが浮いています。これは被害者たちが家に帰っても、受け入れられなかったその不安と韓国社会の偏見を表しているということでした。
少女像の隣には誰も座っていない椅子を置き、通りかかった人が、なぜここに椅子があるのかと考え、座って少女像の手を握り、ハルモニが夢見る平和を想像したとき、この作品は完成するということです。
分科会では、日本の状況についても、説明を求められました。
さらに、このようなことは、日本だけでなく、ほかの国でも起こっており、韓国政府にも同じような問題があったことが共有されました。ベトナム戦争当時、韓国軍による民間人虐殺の犠牲者の母親と無念の死を遂げた赤ちゃんたちの魂を慰めるために、やはり、Kimさんたちが作った、「ベトナムのピエタ像」を設置することに、当初韓国政府は反対していたといいます。現在は、済州(チェジュ)島江汀(カンジョン)村にあるそうです。
このように、公権力が芸術や言論を統制していく動きは、民主主義を妨げるものとして、各国で問題になっていることが共有されました。
印象的だったのは、通訳をしているADAのスーさんがハルモニの苦労について訳すときに、涙が出てしまって訳せなくなってしまったことでした。慰安婦の悲しみが世代を超えて受け継がれていることに感銘を受けました。
※1日目の様子はこちら
さまざまなグループがブースを出展していました |
1.アジアの民主主義
午前の最初のセッションは、「アジアの民主主義」に出ました。釜山市の国立大学である釜慶大学校の准教授のHyung-sik Shin氏の、「民主主義市民教育(DCE)」の話は印象的でした。お話のポイントは以下の3点でした。
- アジアの民主主義が徐々に侵されている中で、市民社会が民主主義を守っていかないといけない。
- DCEが民主主義を深く理解し、アジアの文脈で人権や平和と民主主義をつなぐ役割を果たせる。
- そして、時間をかけて民主主義の文化と意識を醸成していく必要がある。
- 平和(Peace)、人権(Human Rights)、民主主義(Democracy)、つまりPHDをSDGsの柱とすること。
- グローバルレベル、地域レベル、国レベル、地方レベルの政策提言活動や市民運動の連帯を促すこと。
- SDGsを国レベル地方レベルで進める役割を持つ中間レベルのCSOリーダーの力をつけること。
課題としては、ツールキットを常に更新していくこと、グローバル、地域、国レベルの複雑性に対応しながら、SDG16を推進していくことの難しさ、地方の文脈に落としていくことの難しさ、などが挙げられました。機会があったらGALAの研修にも出てみたいと思いました。
また、アジア民主主義ネットワーク(AND)の事務局長のIchai Supriadiさんからは、SDGsを地域の言葉に直して地域で何が起きているか、もっと深いところで理解することが重要であることが話されました。
また、ANDフェローのAbhay Luthraさんからは、次世代の育成が必要で、市民社会の活動に関わっていく人を育てることの重要性が話されました。
民主主義の事例はオープンソースとして共有できること、NGOスタッフにもアンラーン(学びほぐし)が必要で、草の根の人々や団体が持っている力に気づき、権力の所在に気づいていくこと、学び続けることの重要性が話されました。
また、香港の事例などを出し、国家の安全(セキュリティ)と社会の安全(セキュリティ)は異なることが提起され、人々の安全(セキュリティ)を守るための民主主義をすすめるにはどうすればよいのか、などの議論が行われました。
人権や民主主義が脅かされている現在進行形の問題に対し、教育もいつものやり方を変えていく必要があると思いました。アジアの仲間たちと一緒に考えていくことの意義も感じました。
2.芸術を通したGCED
午前の二つ目のセッションは、「芸術(平和の少女像)を通したGCED」に参加しました。
愛知トリエンナーレにも出展した「平和の少女像」をパートナーのKim Seo-Kyungさんと作成したKim Eun-sung さんがスピーカーでした。
Kimさんは、愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」での議論には、芸術家は全く参加できずに、一方的に中止されてしまったことを残念に思っていました。一方で、日本の人たちが芸術を理解し、愛していることもよくわかったので、「対話を始めるスペースが必要だった」と言っていました。
釜山の日本領事館の前の平和の少女像 |
そして、「平和の少女像」を作った背景を話してくれました。少女像は1992年1月から現在も毎週行われている「慰安婦」問題解決のための水曜行動が、1000回を迎えたことを記念して2011年12月に建てられました。
少女の後ろに伸びている影は、ハルモ二(おばあさん)の姿になっています。少女の手は、怒りと緊張を表す握り拳になっており、はだしの足は、彼女たちの歩んできた人生の険しさを表したそうです。その足は少し、かかとが浮いています。これは被害者たちが家に帰っても、受け入れられなかったその不安と韓国社会の偏見を表しているということでした。
少女像の隣には誰も座っていない椅子を置き、通りかかった人が、なぜここに椅子があるのかと考え、座って少女像の手を握り、ハルモニが夢見る平和を想像したとき、この作品は完成するということです。
分科会では、日本の状況についても、説明を求められました。
少女像のそばに猫 |
さらに、このようなことは、日本だけでなく、ほかの国でも起こっており、韓国政府にも同じような問題があったことが共有されました。ベトナム戦争当時、韓国軍による民間人虐殺の犠牲者の母親と無念の死を遂げた赤ちゃんたちの魂を慰めるために、やはり、Kimさんたちが作った、「ベトナムのピエタ像」を設置することに、当初韓国政府は反対していたといいます。現在は、済州(チェジュ)島江汀(カンジョン)村にあるそうです。
このように、公権力が芸術や言論を統制していく動きは、民主主義を妨げるものとして、各国で問題になっていることが共有されました。
印象的だったのは、通訳をしているADAのスーさんがハルモニの苦労について訳すときに、涙が出てしまって訳せなくなってしまったことでした。慰安婦の悲しみが世代を超えて受け継がれていることに感銘を受けました。
(報告:中村)
→その3に続く
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