こんにちは、スタッフの伊藤です。
第2回目となるBrdge47(ブリッジ・フォーティ・セブン)主催のTransformative Learning Journeyに参加してきました。
これは、10月に行われた研修の続編となり、2か月ぶりに世界各国から開発教育やグローバルシティズンシップ教育などに携わるNGO等の実践者が20名ほど集まり、各地での実践を共有し、変革のためにどうしたらよいかを話し合い、各活動に活かすことを目的に実施しました。
10月に行われた研修では、まずは参加者どうしが知り合い、体を使ったワークショップで生態系システムを体感したり、近代化の問題や個人が抱える矛盾と向き合い、様々な問題の根本原因について考えたりしました。
今回は、その後2か月の間に個人や実践にどのような変化があったか、その学びや気づきを共有し、今後、変革のためにはコレクティブ(集合的)にやっていく必要があるが、それをどう具体的に各自の文脈で実行できるかを話し合いました。
理想としてはすばらしいが実践するのは…
研修を通じて思ったのは、コレクティブに活動を進めることは、アイディアとしては素晴らしいですが、実際はとても難しいということです。各自が思い描くゴールは多様である中で、全体として目指す姿やゴールまでのシナリオを共有し、実行することは、簡単ではないと改めて思いました。
今回のワークショップでは、「絵を描く」アクティビティでそのことを体感しました。
まずは瞑想しながら、思い浮かんだことを自由に各自で絵を描きます。次に、他の人がその絵に描き加えます。その後、それぞれの絵を集め、全体でどのような絵が描かれたのかを見渡します。最後に、それぞれの絵をつなげる作業をみんなでします。
ここで面白かったのは、人によって見ているものが違い、絵のつなげ方が様々であることです。また、一人がつなげたと思ったら別の人が違うつなげ方を提案したり、絵をひっくり返して今までとは別の全体像が現れたり。常に流動的で、時間を切り上げないといつまででも続きそうでした。
この経験から、多様な背景の人々が協働して何かを行う場面でゴールを共有するためには、工夫が必要な一方で、多様な可能性があり、流動的あることが強みでもあるということにも気がつきました。
そして、「私はこう思う」「こうしてみたら」「これもいいね」、というプロセスが共有されていないと、お互いがよく理解できず、その強みも発揮されないとも実感したアクティビティでした。
他の参加者からは、「思った以上のみんなの絵が下手くそだった」なんていう意見もありましたが(笑)。アクティビティを実施して感じたことは様々のようです。
不快な気持ちや痛みも包含することができる覚悟はあるか…?
こういった、各国からの実践者が集まる研修での醍醐味は何といっても、異なる価値観や背景に基づく知見が共有できることです。
参加者は、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ大陸、西アジアなど多岐にわたり、共通言語として英語というフィルターは介しつつも、語り合える場があることで、これまでの自分の知識や理解を超える経験が得られます。
ただやっぱり、相手の言語が分かれば、もっと深く言葉の意味合いを理解できるのだろうに、と思うことがたくさんあります。その言語でしか語れないニュアンスを、異なる文化背景の持つ人に対してどこまで共有できるか、またお互いに理解しようとするかはとても大事です。
少し飛躍しますが、相手の語りの中には、特定の地域や国といった文脈の外では理解されにくいことも出てきますが、それを相手の文脈に合わせて理解しようとしてこなかったことが、これまでの開発における問題だとも個人的に思いました。
研修を通じて感じたのは、私たちは自分の理解を超えるものに対する理解をしようとする覚悟があるのか、そこで湧き上がる不快な気持ちや痛みも包含することができる覚悟があるのか、そこを「変革」では問われていると、改めて思いました。
簡単な事ではありませんし、もちろん、時には喜びもあり、望みもあると思いますが。
それでも、優位にある西欧的な価値観
また、近代化においては人間中心の西欧的な価値観や、社会的認識が優位で、自分も含めその恩恵はある一方で、功罪も大きく、今の世界の情勢や問題に大きく影響していると改めて思いました。
色んな事が事例として挙げられると思いますが、今回の研修では特に、カメルーン、ウガンダ、ケニアといった国からの参加者の声から、南北問題に今もなお苦しんでいることが怒りとして表されていました。
象徴的だったのは、カメルーンからケニアに電話するよりパリに電話をする方が安い、飛行機の運賃も安く、飛行時間も短い、という話がありました。また、学校の授業でも、アメリカの地理を習うそうで、ある時まで自国の自然の美しさに気づいていなかったという話がありました。
その社会にとって関係性があり、役に立つことは何なのか、なぜ、誰のための教育や制度なのか、そしてそれをどうやってするのか、という根本的なところに私たちは向き合えているのか、改めて考えさせられました。
そして、カメルーンが置かれている状況とは緊急性やリスクは異なれども、私たちの日本の文脈でもそのことは問われるべきことだとつくづく感じました。
忘れ物からの出会い
研修以外の場面では、参加者の一人がノートPC入りのリュックサックを電車の中に置き忘れるというハプニングがありました。運よく拾ってくれた方から連絡があり、回収に行ったのですが、そこに現れたのは、シリアから移住してきた二人組。
お礼を述べたところ、自分の文化では、人のものは盗まない、と言われたそうです。私も含め、勝手にいわゆるゲルマン系のドイツ人が来ると思っていたこと、また、ついとらわれがちな難民・移民のイメージに埋もれてしまった文化や慣習の美しさに気づかされた場面でした。
5月の最終回へ向けて
このTransformative Learning Journey は、2019年10月~2020年5月にかけ計3回の集合研修を行っています。次回は5月で、最後の研修なります。
それまでは、各地で実践を通じて変革をもたらすために、分析をしていくことなります。近代システムの変革という非常に大きなテーマではありますが、DEARの活動を通じて地道にやっていきたいと思います。
第2回目となるBrdge47(ブリッジ・フォーティ・セブン)主催のTransformative Learning Journeyに参加してきました。
これは、10月に行われた研修の続編となり、2か月ぶりに世界各国から開発教育やグローバルシティズンシップ教育などに携わるNGO等の実践者が20名ほど集まり、各地での実践を共有し、変革のためにどうしたらよいかを話し合い、各活動に活かすことを目的に実施しました。
10月に行われた研修では、まずは参加者どうしが知り合い、体を使ったワークショップで生態系システムを体感したり、近代化の問題や個人が抱える矛盾と向き合い、様々な問題の根本原因について考えたりしました。
今回は、その後2か月の間に個人や実践にどのような変化があったか、その学びや気づきを共有し、今後、変革のためにはコレクティブ(集合的)にやっていく必要があるが、それをどう具体的に各自の文脈で実行できるかを話し合いました。
1回目(10月開催)の報告書はPDFでDLできます |
理想としてはすばらしいが実践するのは…
研修を通じて思ったのは、コレクティブに活動を進めることは、アイディアとしては素晴らしいですが、実際はとても難しいということです。各自が思い描くゴールは多様である中で、全体として目指す姿やゴールまでのシナリオを共有し、実行することは、簡単ではないと改めて思いました。
今回のワークショップでは、「絵を描く」アクティビティでそのことを体感しました。
まずは瞑想しながら、思い浮かんだことを自由に各自で絵を描きます。次に、他の人がその絵に描き加えます。その後、それぞれの絵を集め、全体でどのような絵が描かれたのかを見渡します。最後に、それぞれの絵をつなげる作業をみんなでします。
ここで面白かったのは、人によって見ているものが違い、絵のつなげ方が様々であることです。また、一人がつなげたと思ったら別の人が違うつなげ方を提案したり、絵をひっくり返して今までとは別の全体像が現れたり。常に流動的で、時間を切り上げないといつまででも続きそうでした。
この経験から、多様な背景の人々が協働して何かを行う場面でゴールを共有するためには、工夫が必要な一方で、多様な可能性があり、流動的あることが強みでもあるということにも気がつきました。
そして、「私はこう思う」「こうしてみたら」「これもいいね」、というプロセスが共有されていないと、お互いがよく理解できず、その強みも発揮されないとも実感したアクティビティでした。
他の参加者からは、「思った以上のみんなの絵が下手くそだった」なんていう意見もありましたが(笑)。アクティビティを実施して感じたことは様々のようです。
不快な気持ちや痛みも包含することができる覚悟はあるか…?
こういった、各国からの実践者が集まる研修での醍醐味は何といっても、異なる価値観や背景に基づく知見が共有できることです。
参加者は、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ大陸、西アジアなど多岐にわたり、共通言語として英語というフィルターは介しつつも、語り合える場があることで、これまでの自分の知識や理解を超える経験が得られます。
ただやっぱり、相手の言語が分かれば、もっと深く言葉の意味合いを理解できるのだろうに、と思うことがたくさんあります。その言語でしか語れないニュアンスを、異なる文化背景の持つ人に対してどこまで共有できるか、またお互いに理解しようとするかはとても大事です。
少し飛躍しますが、相手の語りの中には、特定の地域や国といった文脈の外では理解されにくいことも出てきますが、それを相手の文脈に合わせて理解しようとしてこなかったことが、これまでの開発における問題だとも個人的に思いました。
研修を通じて感じたのは、私たちは自分の理解を超えるものに対する理解をしようとする覚悟があるのか、そこで湧き上がる不快な気持ちや痛みも包含することができる覚悟があるのか、そこを「変革」では問われていると、改めて思いました。
簡単な事ではありませんし、もちろん、時には喜びもあり、望みもあると思いますが。
それでも、優位にある西欧的な価値観
また、近代化においては人間中心の西欧的な価値観や、社会的認識が優位で、自分も含めその恩恵はある一方で、功罪も大きく、今の世界の情勢や問題に大きく影響していると改めて思いました。
色んな事が事例として挙げられると思いますが、今回の研修では特に、カメルーン、ウガンダ、ケニアといった国からの参加者の声から、南北問題に今もなお苦しんでいることが怒りとして表されていました。
象徴的だったのは、カメルーンからケニアに電話するよりパリに電話をする方が安い、飛行機の運賃も安く、飛行時間も短い、という話がありました。また、学校の授業でも、アメリカの地理を習うそうで、ある時まで自国の自然の美しさに気づいていなかったという話がありました。
その社会にとって関係性があり、役に立つことは何なのか、なぜ、誰のための教育や制度なのか、そしてそれをどうやってするのか、という根本的なところに私たちは向き合えているのか、改めて考えさせられました。
そして、カメルーンが置かれている状況とは緊急性やリスクは異なれども、私たちの日本の文脈でもそのことは問われるべきことだとつくづく感じました。
たまたま研修所近くに現れた虹 |
忘れ物からの出会い
研修以外の場面では、参加者の一人がノートPC入りのリュックサックを電車の中に置き忘れるというハプニングがありました。運よく拾ってくれた方から連絡があり、回収に行ったのですが、そこに現れたのは、シリアから移住してきた二人組。
お礼を述べたところ、自分の文化では、人のものは盗まない、と言われたそうです。私も含め、勝手にいわゆるゲルマン系のドイツ人が来ると思っていたこと、また、ついとらわれがちな難民・移民のイメージに埋もれてしまった文化や慣習の美しさに気づかされた場面でした。
5月の最終回へ向けて
このTransformative Learning Journey は、2019年10月~2020年5月にかけ計3回の集合研修を行っています。次回は5月で、最後の研修なります。
それまでは、各地で実践を通じて変革をもたらすために、分析をしていくことなります。近代システムの変革という非常に大きなテーマではありますが、DEARの活動を通じて地道にやっていきたいと思います。
(報告:伊藤)
コメント
コメントを投稿