「DEARカレッジ」第4回「多文化共生」開催レポート

 こんにちは!大学生のボランティアスタッフ、土戸友理香です。

「DEARカレッジ~SDGs学習のつくりかた」(全7回)の第4回「多文化共生」のレポートをお送りいたします!

前回の「貧困・格差」と同様に、身近に起こりえる多文化共生の課題を「テーマ」として学び、共生社会の実現に向けた挑戦と葛藤を参加者のみなさんと一緒に考えていきます。

講師の孫さん(中央)と一緒に 

★ディスカッション★

だんだん蒸し暑い日も増えてきましたが、みなさんは夜よく眠れていますか?

そんなアイスブレイクと第3回「貧困・格差」のふりかえりのあと、グループに分かれてディスカッションを行いました。

今回のグループ・ディスカッションのテーマは『日本の社会生活の中であなたが感じる生きづらさに通じるような「制度の壁」「心の壁」』です。

グループで話し合ったことを全体に共有していただきました。

  • 前例を重視してしまい、新しい意見が聞き入れられない。
  • 子育てを終えて社会復帰したくてもできない女性の生きづらさ。
  • 空気を読まなければいけない風潮により、発言を躊躇してしまう

また、グループでの話し合いの中で「壁に順応することが当たり前になっていて壁の存在に気付いていないことに気付いた」という意見もありました。

★講義(孫 美幸さん)★

孫さんは在日コリアンの父と韓国釜山出身の母を持ち、2000年には京都市の公立中学校で初めての外国籍教員として採用されています。現在は、文教大学国際学部国際理解学科で准教授として教鞭をとっておられます。

本講義では、孫さん自身が日常的に感じてきた、複雑に絡み合う何重もの「壁」や、子ども達と関わる中で感じる共生への意識をもとに多文化共生教育の在り方についてお話しいただきます。

それではさっそく本題に入ります!

日本における「共生」を考える

「一緒にいれば『共生』」と思われがちですが、共生とは現状維持ではなく「共に生きる方へ」という動きのある言葉です。

日本において、『古事記』の中の「共生み(ともうみ)」に根差した「異民族・異文化と日本人・日本文化が未来に向かってあらたな歴史と文化を共に生み出す、人間がいかに努力して、新しい自然との関係を創造してゆくか」という考え方が示されています。
(引用:上田正昭(2013)『森と神と日本人』(藤原書店)

また、栗原彬(2007)より、「共生への呼びかけは、水俣病者、障害者、在日朝鮮人など社会的に排除されてきた多様な人々から発せられている。(中略)共生の政治とは、受苦と受難の底から、もう1人とともに立ち上がること」と記されています。
(引用:栗原彬(2007)「「新しい人」の政治の方へ」日本政治学会編『年報政治学2007-Ⅱ排除と包摂の政治学』木鐸社)

共生とはただ一緒にいるだけではなく、「一緒に未来を創っていく」言葉なのですね。多文化共生を実現するために、ぜひ「もう1人」になってほしいです。

現代を覆う排外主義への闇への警鐘

現代の排外主義に対して多くの研究者が発信しています。

ー「在日韓国・朝鮮人は出て行けばいい、死ねばいい」と都知事選の街頭演説で外国人排斥を訴える候補者が声を張り上げ、聴衆からは拍手がわいた。かれは11万4千票以上を得票している。ー
(辺見庸(2016)「惨劇が照り返す現在」「痙れんする世界」)

ヘイトスピーチは、マイノリティの人々だけでなく、良心を持つあらゆる人々を傷つける。全ての人間には普遍的な尊厳と人権があると考える人々の信念、平和に生きようとする人々の精神に対して傷を負わせる行為です。他人事ではないですよね。

多くの人が排外主義を支持しているため、「自分の感じていることが間違っているのかもしれない」と思ってしまう人もいるかと思いますが、おかしいことに対して「違う」と声を上げる発信者になってほしいです。

外国人排斥を訴える候補者に数十万票もの票が集まる社会について考えていく必要があるのではないでしょうか。

「文化本質主義」を乗り越える多文化共生教育の必要性

■文化本質主義とは?
文化を境界が閉じたものとして扱う主義(例:○○人は~だ、肌の色で怪しまれる)
⇒単一基準のアイデンティティによって人間を矮小化する危険性

■文化本質主義を乗り越えるためには?
・理性でアイデンティティを選び取っていく。
・文化の中にある多様性や複数性、流動性への視点を大切にする。
・学校だけでなく、多文化共生教育を体得できる教育プログラムや学びの場を創る。

■世界の潮流の中で、多文化共生教育の重要性
「地球上で全ての生き物が生きやすくなるための目標」
これは、孫さんの娘さんが持続可能な開発目標(SDGs)を小学生にも分かりやすいように言い換えてくれた言葉だそうです。

平成29年版 環境白書・循環型社会白書・生物多様性白書
https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h29/pdf/gaiyou.pdf

上の図は、地球上で人類が生存できる安全な活動領域とその限界点を示した、プラネタリー・バウンダリーです。

全人類が協力して、気候変動などの環境問題にどう立ち向かっていかなければならないのかを考える必要がある時代だからこそ、「共生」が重要ではないでしょうか。「○○人は嫌だ」「○○民族は死ねばいい」、そんなことを言っている場合ではないことが分かります。

■日本の教育
ー近隣諸国であるアジア地域の人々とどのように平和的な関係を築くことができるかという視点よりも、国際競争を勝ち抜くための英語教育に重点をおいている。ー
(引用:三浦信孝・糟谷啓介(2000)「言語帝国主義とは何か」(藤原書店)

これは二重のモノリンガリズム(対日本語と対英語)であると批判されています。

二重のモノリンガリズムを行うことで、「日本対(外国=英語圏)」という図式を子ども達に植え付けやすいです。言語においても「日本語と英語」、文化においても「日本文化と英語圏の文化」と二項対立の理解になりかねません。それによって多言語・多文化を尊重することを難しくしています。

また、日本では行われていませんが、諸外国では小さい頃からの多言語教育が行われており言語能力が発達することにつながっているようです。

日本の伝統文化教育においても、文化の多様性や流動性を無視した教育がされているのではないでしょうか。

孫さんが教える国際学部の学生たちが書いた授業のコメントとして、

  • 「日本古来の文化だと思っていたものは大陸に少なからず影響していることを知って驚いた」
  • 「日本の文化は日本で創られ、日本独自のものだと思っていた。」

体育で行う柔道や音楽のお琴などの日本の伝統文化を習う際に、純粋な日本古来の文化だと捉えてしまう教育が行われると、さらに「二重のモノリンガリズム」を促進してしまうとともに、「歴史と文化を共に生み出す」という「共生」の概念の理解が難しくなりそうです。

多文化共生教育をどう実践するか

■子ども達の声
  • 「韓国は昔、日本人に支配され、ひどい目に遭った」というが、昔のことは今の私たちには関係ない。
  • K-POPも韓国コスメもファッションも好きだから、歴史は関係ないのでは?
  • 韓国のことを授業で習ってはいたが、テストのための勉強で終わっていて、自分の生活に密接していなかった。
しかし、歴史と現在を分離して考えてしまうと、在日韓国人がなぜ日本にいるのか、どうしてヘイトスピーチがなくならないのか、という問題まで掘り下げることできない

■人権教育の指導方法等の在り方
SDGsの土台にも人権が据えられており、人権を抜きにしてその目標を達成することは困難である。人権教育の推進は、継続した国際的潮流となっている。

日本で今まで行われてきた人権教育を改めて見直し、国際的な動向を踏まえて新たに創っていくことが大切だと考えています。

■多文化教育の実践の中に「共苦」の感覚を取り戻す
「共苦」とは…
日本語で、お互いの「共苦」のベースとなる心身の「痛み」の感覚を表す言葉を探した時、琉球方言における「肝苦さ(ちむぐりさ)」に当たります。この「ちむぐりさ」は辞書上では、「かわいそう、気の毒」と訳されますが、そこには文字通り「内臓がえぐられるような苦しみや痛みを感じ、共有する」という深い意味が込められています。 

「かわいそうだから一緒にしてあげる」のではなく、「内臓がえぐられるような苦しみや痛みを一緒に感じ、一緒に立ち上がる」感覚を取り戻すことができれば、様々な壁に立ち向かうことができるのではないかと考え、多文化共生教育の中で、多様な文化背景を持つ人々の立場に立って「共苦」の感覚を身につけることができるような実践を行っていらっしゃいます。

多文化共生社会で生きるヒント~排外主義を乗り越えるために~

■声を上げ続けること
多文化主義も仮に最初は欺瞞的なものであっても、われわれはそれを二十一世紀の人間のあり方を定める基本的な原理に育てていくことが出来るのではないか。

人権を謳ったときもそうでしたが、最初は欺瞞的になってしまいます。しかし、たとえ欺瞞的だとされても、SDGsや多文化共生も声を上げ続けることで考えを広げていける可能性があります

■多角的な歴史的視点を持つこと
国や政府が変われば、言っていることも教科書も違う。しかし、様々な文化的背景を持つ人々は一人一人それぞれのライフヒストリーがあり、多様です。
それらを知ることで「共苦」を感じることに繋がるのではないでしょうか。

■自分の価値観とは違う視点から見る
開発教育協会でもピーターズ図法をよく使っていますが、私たちは日本を中心とし、北を上、南を下にした世界地図に見慣れています。

ピーターズ図法の世界地図

これによって無意識のうちに偏った「当たり前」が生まれてしまいやすいですが、いくつもの世界の見方があることを知り、伝えていってほしいです。

また、小さいときから世界に目を向けることや、これまで考えもしなかったような知らない世界がたくさんあり、学び続けることが大切です。

最後に、孫さんのお子さんが人権学習で作成した作文の一部を紹介します。

「ぼくは、今、おばあちゃんのおかげで、韓国の文化も日本の文化も知ることができてとてもうれしいです。どちらの国の文化も同じくらいすてきで、同じくらい大切です。お互いの国のよさを知り、その良さを伝え合い、お互いの似ている所もちがう所もみとめ合えるようになるといいなと思います」

このような子どもたちの言葉を、ヘイトスピーチに票が集まるような世の中で、大人はこれからどう育てていくことができるか、皆さんもぜひ考えてみてください!

★ディスカッション★

孫さんの講義を聴いた上で、印象に残ったこと、感じたこと、疑問に思うことや、今までの実践に足りなかったこと、付け加えたいこと、新しい観点などを、グループで話し合った後、全体に共有していただきました。

意見の一部をご紹介します。
  • 共感・共苦の、共苦については考えてこなかったから改めて考えたい。
  • 国内にある多様性(例:東北の方言が通じない、など)も含めて多文化共生を身近なものとして考えていかなければならないと感じた。
  • 文化的背景を発信するときに、ネガティブなことを言うと引かれてしまうことは問題であるが、自分のルーツに自信を持ちポジティブな面を発信していくことも大切だと思った。
  • 苦しさを伝えることが出来る人や、苦しいからこそ言わない・察してほしい人など、多様な考えがあり、いろんな文化的背景を持つ人が教室にいる中で、多文化共生をどう扱えばいいか考えたていきたい。
  • 道徳科の国際理解の内容に「日本人としての自覚を持ち、(中略)世界の平和と人類の発展に寄与すること」と示してあることに疑問を感じた。

★受講生の感想★

  • 孫さんの一人称の語りがとても響いた。「毎日傷だらけなんです」と言われたことに、共苦できる感性を持つことと、常に自分に問いかけることをしていかなくては、と思った。
  • 「寄り添うだけでは足りない」という言葉が残りました。日本人と同じに税金を払い、社会保障費も担っている外国人住民に選挙権がないことが大きな問題なのです。これを勝ち取るための活動を共に進めていかなければならないと思います。
  • 自分の周りを見渡してみたり、色々な人の話を聞いたり読んだりすることで自分が気づいていない「社会の中でいないことになっている人」と出会っていく作業を丁寧にしていきたいです。
  • 歴史を教える立場として、古代から東アジアの地域の人々と双方向に交流し、相互に影響を与え、受けていたということを授業で取り上げていますが、それが、「習う」ことで終わっていないか、そこからどう「考える」ことにつなげられるかということをより考えていく必要があるということをぐるぐる考えています。(中略)また、「共感共苦」や「コンパッション」の話題も出ていましたが、むしろ「エンパシー」という観点で考えていくことが必要なのではないかと感じました。

★感想★

孫さんの講義や、受講者の方々の議論や感想を聴く中で、多文化共生はSDGsの考え方である「誰ひとり取り残さない」に直結するテーマであると改めて感じました。多文化共生は人種の問題だけでなく、出身や学歴、年齢や性、気質や特性などにも通じることではないでしょうか。

多文化共生を「テーマ」で終わらせるのではなく、その中で課題を見つけ、「じゃあ、どうするか」にまで繋げることが重要だと感じ、身の引き締まる思いです。(報告:土戸)

コメント