こんにちは。DEARスタッフの岩岡です。
4月28日(木)夜、「機関誌オンラインcafé」を開催しました。
DEARが毎年発行している機関誌『開発教育』を片手に、自由に語り合う会として、2019年より企画しているこのイベント。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、一昨年からはオンラインにて開催をしています(昨年の様子はこちら)。
今回は、機関誌68号の特集「沖縄における開発教育」をテーマに開催しました。参加者は、学校教員や会社員の方の他に、特集に寄稿してくださった方々やd-lab2020報告を執筆くださった方々が多く参加されました。
最初に簡単な自己紹介をした後、執筆者の皆さんから執筆後の話などをお一人ずつ話していただき、それをもとに一人ひとり感じたことなどを共有していきました。
沖縄でこういう風に生きてきた人がいると知ってほしい
-玉城直美さん(沖縄NGOセンター)
<玉城さんより>
寄稿したことによって、沖縄でこういう風に生きてきた人がいるということを知ってもらい、これからの活動の参考にしてほしい。沖縄を皮切りに、他の方のライフヒストリーも見てみたい。<参加者より>
あまり歴史を分かっていない、知られていない
ストーリーのもつ力の強さと怖さ
そこには、サイエンスがあった。
対立しているようで表裏一体
- 移民を排出することが、他の国の開発に加担している。移民を受け入れる側だけでなく、排出する側の視点を得られた。
- 開発教育や沖縄NGOセンター(ONC)の歴史を改めて知ることができた。玉城さんが育ってきた背景を知ることで、玉城さんを通じて沖縄を見ることができた
- 客観性を体感できるって大事だと思った。個人の持つストーリーを学ぶことの大切さ。沖縄の言葉の面白さ。言葉の裏側を知ることも子どもたちとできたら面白いなと思った。
あまり歴史を分かっていない、知られていない
ー屋良真弓さん(南風原町立南風原小学校)
<屋良さんより>
今年は、沖縄が本土に復帰して50年。先生たちも子どもたちも、復帰50年って何だろう?っていうことをあまり話せないし、あまり歴史を分かっていない、知られていないと実感している。沖縄移民のことも、復帰のことも、自分が主軸となって、地域のことを考えられる教材を作っていきたい。
<参加者より>
- 復帰は沖縄にとって良いことだったのか、と悩むことが多い。日本人として、沖縄に失礼なことをしているんじゃないか。復帰を知らない人がどう発信していくか、どう学んでいくかがこれからの課題ではないか。
- 復帰の翌年に生まれた。沖縄の人は、復帰運動が東京から始まったことすらあまり知らない。何に復帰したかったのか?それは、法の下の平等にかえりたかったのではないか。当時の沖縄の人々は日本にそれがあると思った。自分がきちんと歴史や経緯をわかっていないと、伝えようがない。反省すべきは沖縄の人たちも一緒じゃないかなと思う。
- 移民教材を作っても自分たちだけで広げるのは難しいが、教材を通じてみんなが対話できるきっかけや土台を作り上げることができたんじゃないか、と思う。
ストーリーのもつ力の強さと怖さ
ー古賀徳子さん(ひめゆり平和祈念資料館)
<古賀さんより>
本土を守るために犠牲になった沖縄。かわいそうな女性、助けるべき存在、というイメージが復帰運動の中で作られてきた。その沖縄を助けるんだ、ということで復帰運動が盛り上がった側面がある。ストーリー性がある方が、生の言葉よりも広がりやすいし伝わりやすいという特徴があるが、そこには一種の怖さもある。
<参加者より>
学芸員から、ひめゆりに移られ、より専門性を高め、さらにそこに、開発教育の仕組みを献身的に広げている姿には本当に頭が下がります。ひめゆりの方々、直接対話を重視してきた資料館が、次世代の平和教育の在り方、まだ模索中だと思いますが、きっと今の積み重ねが10,20年後に花咲くと思います。
そこには、サイエンスがあった。
ー斉藤美加さん(琉球大学医学研究科、Team Yaeyama Zero Malaria)
<斉藤さんより>
- 今年、八重山マラリアがなくなって60年を迎えた。マラリアによって、世界で40万人以上がなくなり、コロナ禍で60万人まで増えると言われている。撲滅した偉業がもっと知られていいんじゃないか、ということで絵本を発行した。八重山マラリアの歴史から学ぶべきこと、それはサイエンスがそこにあった、ということ。
- 開発教育とはどういうことなんだろう、ということを勉強させてもらっている。教育だけで終わってしまってはダメなのでは。平和教育の在り方、正しい選択をできるためには、サイエンスはどのようなことにおいても重要だと思っている。
<参加者より>
- 一緒に考えて行動していく場をつくる、仕組みをつくる。住民も科学者も行政もチームとして課題に向き合っていく、感染症の対策に乗り出していく、というところを含めてのサイエンス。
- 教育の力は大きい。サイエンスは説得力を持つもの。それをベースとして物事を語っていくことの重要性。サイエンスを自分たちで作ると、その先が見える。目標や道筋が視覚化される。シチズンがサイエンスを持つことの重要性を考えている。
対立しているようで表裏一体
ー島袋美由紀さん(琉球大学博物館(風樹館))
沖縄の開発を通して自然保護を考えることを考えてきた。自然を守ることは人間を守ることにつながる。自然保護するのか?開発して便利にするのか?対立しているようで表裏一体の問題がある。
最後に、この時間を通じて感じたことや考えたことを一人ずつシェアしました。
- 復帰のことをもっと知りたいと思った。ストーリーがキーワード。個人のストーリーも大きなストーリーも。いろんな視点で捉えて考えていきたい。
- 機関誌編集を通して、皆さんの原稿を読ませてもらい、一つ一つの実践や活動が部分的に伝わった。色々な沖縄のことを知る機会がもっとあったらと思っている。
- 復帰と返還。捉え直しの視点が持てていなかったことへの反省と希望を感じている。日本は隣国の中国や韓国から学んでいる技術なども多い。同じではなく、尊敬すべき存在では、など視点をずらすことの大切さを感じた。
- 「デニーさん」ってすぐ言える沖縄県は、政治との距離が近いんですね(東京は遠いです…)。教員一人ひとりが何を語るのか、というのが責任重大だと思った。
- メディアリテラシー力や、物事を考える力の大切さ。いろんな視点で物事を見ること、これを私はここ2年ほど沖縄の人たちから学ばせてもらった。
- 沖縄で東京の話をしても、遠くのことを学んでいるんだな、と思う。日本に対するアイデンティティや地方都市で教育を受けてのアイデンティティはなにか違うと思った。
- 東北の方言は「笑いの対象」。標準語を話すようにという教育を受けてきた。東京と地域で教育を受けることのちがいを思う。
- 伊江島の分科会では、グループでの話が戦後に向かわず、沖縄戦に戻ってしまう、ということがあった。戦後のことを全然学んでいないから戦後の話ができない、と気づいた。
- 元気になった。地域に特化すればするほど、ONCは鍛えられた。ローカルNGOの中ではしっかり走らせてる実感がある。政治がらみなことや様々な社会課題がたくさんあって可哀そうな地域って見られがちかもしれないけれど、意外と人と人とのつながりや社会を動かしている実感はある。いい時代がやってきた。まだまだ可能性がある。その根底に開発教育がある。わくわくしている。
- 沖縄出身だが、学校で琉球史を習っていない。日本の学習指導要領には、ごっそり琉球史が抜けている。復帰以後に生まれた世代が中堅になっているが、気づけない人たちが増えている。振り返らないし振り返れないし、知るきっかけも少ないと感じている。
- とても刺激的だった。島嶼地域は、偏狭性、隔離性、矮小性の3つで語られることが多い。この小さな島でものすごい工夫と努力で生き延びてきたことは事実。もっと主体的に中心になって話していいのでは、と思っている。沖縄特有のバイタリティやレジリエンスがあって面白い。
- 読んでて知らないことがたくさんあったことに気づいた。様々な経験をされている方の話や、当事者の方から聞いて感じることも多かった。教材づくりへの挑戦も参考になった。
- ひとつひとつが社会や人生、命を考える話題だった。「よく生きる」ってどういうことなんだろうということを考えている。主権者教育も、人の移動も、サイエンスも。開発教育はそれぞれをつなげるラインみたいになっていると思っている。これからも勉強していきます。
今回の特集は「沖縄」を切り口に、移民、言語や文化、戦争、シチズンサイエンス、観光と開発など、様々なテーマの広がりがありましたが、こうして様々な分野で活動をしている人々が集って議論や対話ができるのは開発教育だからこそですし、この繋がりをさらに社会を変える力にしていきたいと感じました。
ご参加くださった皆さん、ありがとうございました!
(報告:岩岡由季子)
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